私の母は小児科のクリニックに勤める看護師でした。幼い頃熱を出すと、保育園を休んで母の職場の休憩室で過ごすことがあり、母や他の看護師さんが面倒を見てくれました。看護師という職業を意識したのはその頃からだと思います。母は「いつも笑顔で働いている明るい看護師さん」というイメージでした。小学生から高校生へと成長していくなかで、将来の夢はパティシェ、学校の先生、保育士さん….とたくさん考え迷ったこともありましたが、幼い頃からずっと頭の片隅にあった看護師になりたいと思い看護師の道へ進むことを決めました。看護師の仕事は楽しいことばかりではなく、勉強が大変だったり、患者さんとの関わりが難しく悩むこともあります。しかし、人と関わることが好きなので、患者さんの笑顔に励まされながら今も頑張ることができています。
「あなたの笑顔で元気が出たよ」の言葉に勇気づけられ、常に笑顔を心がけるように
私が働くなかで一番大切にしていることは、常に笑顔を絶やさないことです。きっかけは学生の頃の看護実習です。初めての環境、初めての患者さんとの関わり、そして医師・看護師をはじめとした実習先の病院職員の方との関わりに加え、命や病気と向き合う現場に緊張と不安でいっぱいでした。担当させて頂いた患者さんはお話好きな方で、常に私を気遣ってくれていたように思います。最初はとてもぎこちなかった会話も、次第にスムーズにできるようになり、患者さんの身の上話もたくさん聞かせていただきました。退院の目には「最初は表情も硬くて、“この子は大丈夫かしら”と思ったけれど、あなたが一生懸命笑顔で接してくれて元気が出たよ。ありがとう。」と言ってもらえました。そのとき、笑顔の大切さに気がつきました。暗い表情、硬い表情は患者さんに不安と恐怖を与えかねません。患者さんに安心して治療を受けてもらえるよう、常に笑顔でいることを心がけるようになりました。看護大学を卒業し、医療センターに就職して4年が経とうとしています。配属は急性期病棟で、緊急入院となった患者さん、重症患者さん、手術をする患者さんもたくさんおられるので日々勉強が欠かせません。新人の頃は自分の不甲斐なさにへこむこと、うまくいかずに落ち込むこともたくさんありましたが、先輩の真似をしながらさまざまなことを学び、経験しました。年数が経つにつれ次第に重症患者さんを任されるようにもなり、勉強や経験の幅が広がっています。たくさんの経験を経て、仕事が効率よく進められるようになったこと、先輩から指示を受けなくても予測して行動できるようになってきたこと、患者さんと親身に関わることができ笑顔が見られるようになってきたことで仕事がおもしろくなってきたように感じます。これからもたくさんの知識・技術・経験を得つつ、笑顔で患者さんと関われたらと思っています
患者さんが安心して治療を受けられる環境作りに努めたい
笑顔は患者さんに安心してもらうためのひとつの方法ではありますが、それだけでは足りません。患者さんにとっては病気や治療自体が不安なものです。そのため、患者さんには間違った情報を伝えないよう丁寧に説明し理解を得ることが重要であると考えています。自分の知識が浅いと患者さんに正しい情報を伝えることができず、不信感を抱かせてしまう可能性があります。また、行う治療には、点滴や注射、手術や処置などの痛みを伴うものもたくさんあります。技術が未熟であると、それだけ患者さんに与える苦痛が強いものとなってしまいます。現場で働いていると、自分の知識不足や経験不足を痛感することが多々あります。それでも、患者さんからの「ありがとう」「おかげで助かったよ」などの言葉をいただけることがあり、喜びや達成感、やりがいを感じます。自分の努力で少しでも患者さんの不安を軽減できるよう患者さんと誠実に向き合い、患者さんが安心して治療を受けられる環境作りに努めていきたいです。
子どものころ、看護師の仕事はたいへんだと周りの人から聞いていたので「あんまりなりたくないな」と思っていたのです。ところが高校3年生の7月に祖母が交通事故に遭うということがありました。お見舞いに行ったとき看護師さんの姿を見て「病気やケガをしている人にかかわって助ける仕事もいいな」と思いました。ちょうど進学先を決める直前で仲のいい友だちが看護師志望であったこともあり、私も准看護師の看護学校に進学しました。在学中に先生から「働いてからもう一度学校に通うのはたいへんだから卒業したらそのまま高等看護学校(高看)に行ったほうがよいよ」とアドバイスをいただき、卒業後はそのまま高看(3年間)に進学しました。そこには衛生看護科の新卒、准看護師で社会経験のある人、社会人から看護師を目指す人など、年齢も経験もいろんな人たちがいました。実習などたいへんでしたがそういう人たちといっしょに刺激を受け合いながらがんばりました。
10歳くらい年の離れた従姉(いとこ)がいて2人とも看護師だったのです。あこがれもあったのか小学生のころから自分は看護師になると決めていました。小学校の卒業文集にも「将来はナースになる」と書いていました。そこからは迷うことなく高校卒業後の進路も看護大学を選びました。大学に入るとあまりの忙しさに「(学生でも)こんなに忙しいに、本当に看護師になってやっていけるだろうか」と思ったこともありました。ほかの大学に進学して遊んでいる同級生を見てうらやましく思ったことも(笑)。でも一生懸命勉強して卒業しました。学生時代は小児科に行きたいと思っていましたが、小児科のある病院は限られているので就職は小児科にこだわらず家から通える民間の総合病院を選びました。そこで配属されたのはICUでした。ところがその1年目に祖父が自分の職場であるICUに運ばれ、結果として看取ることになってしまったのです。看護師として何もできなかった自分に無力感を感じてずいぶんショックを受けました。もちろん看護師としてなんとかできる範囲は超えていたと思うのですが、その経過を近くで見ていたので、その病院でそのまま看護師を続けることができなくなるほど悩みました。でも、そのときの上司がたいへん私に気をしてくれ、いろいろ言葉を掛けてくれました。そのおかげで「やはり看護師を続けよう」とまた気持ちを奮い立たせることができたことは今でも感謝しています。そして2年目の春から亀山市立医療センターに移って働きはじめました。
私が看護師になろうと決めたのは幼稚園年長組の5歳のとき。私は重度のやけどをしたのです。入院生活を送り退院後も1か月ほど通院をしました。そのとき親切にしてくれた看護師さんが「大きくなったら何になりたい?」と聞くので、私は喜ばせようという気持ちもあって「ここの看護婦さんになってあげる」と答えたのです。するとその看護師さんは「待ってるよ!」と喜んでくれました。それ以来、私は「私は将来、看護婦さんになるんだ」と思い込んだのです。だから小学校の卒業アルバムにも、多くの友だちが将来の夢として「花屋さん」「ケーキ屋さん」と書くところを「看護婦さん」と書きました。当時、ほかにそう書いている子はいませんでしたね。親戚関係に医療従事者や看護師がいなかったので高校進学のときに衛生看護科のある高校に行きたいと言ったら親からは「高校は普通科に行って」と言われました。それで進学校に進みましたが私は1年のときから「高校卒業したら看護専門学校に進む」と決めていました。そしてそのとおり地元、大阪の看護専門学校に進学しました。
昔から看護師になりたいと思っていたわけではないのですが、中学、高校といっしょに部活まで過ごしていた仲の良い友だちに看護師になりたいという人が多くその影響を受けました。私自身も高校1年生のときに入院したことがあり看護師さんの仕事もイメージできました。地元の看護専門学校に進学して公立の市民病院に就職。学生時代の心電図の授業がおもしろかったのでICUや循環器科に興味をもっていたのですが希望どおりICUに配属されました。ICUはつねに生死と隣り合わせで、学生時代には習っていない病態、高度な治療法、薬剤ばかりで最初の3か月はたいへんでした。それでも乗り越えられたのは同期の仲間と丁寧にサポートしてくれた先輩たちのおかげです。ICUから救急外来、循環器、一般外来などで約10年勤務。その後に別の公立病院に転職しました。
小学校高学年のとき大好きな祖父が入院しました。病院にお見舞いに行っても「おじいちゃんのために自分は何ができるんやろ?」と思いました。そんなとき看護師さんが来て身の回りのお世話をすると、祖父がニコニコとうれしそうな顔をするのです。そのとき「看護師って素敵な仕事だなぁ」と思ったのが看護師を目指すきっかけでした。高校に進学するときに地元の高校から県立看護大学に行けば奨学金が出ることを知り目標とする大学も決まりました。高校に入ってからも大学進学を意識して勉強にも力を注ぎました。家族の応援もあり無事に大学入学でき看護の勉強もやり切りました。「必ず看護師になる」という強い気持ちがあったから乗り切れたのだと思います。
私がまだ幼い頃に妹が入院しました。お見舞いに行くたびに白い服を着たお姉さんがいました。そのお姉さんが優しく接してくれて妹が元気になっていくのを感じました。中学生になり、医療現場のテレビ場組を見た時に『あ、あのお姉さんが看護師だったんだ!』と認識しました。その時に私の将来の夢は『看護師』に決まりました。高校進学の時に看護科のある高校を選び、入学後は学科や実習、レポートと大変でした。そして、実習を通じて人と接することが好きなんだと実感しました。5年間の学校生活後半は母親の看病をすることになり、看護師の資格は取れず准看護師としての卒業となりました。その准看護師時代に当センターにお世話になりました。
看護師だった母。夜勤などあって忙しい仕事だと知っていたけど、いつもいきいきとしていました。小さいころに母の職場にも連れて行ってもらったこともあります。「たいへんだけど人にありがとうって感謝してもらえる仕事よ」と言って笑う母がとても頼もしく魅力的に見えました。だから私が小学校の卒業式のときに「将来の夢は看護師さんになることです」と発表するほど私の気持ちは決まっていました。
私は、大学生の頃、特にやりたいこともなく3年生・4年生を迎えていました。就職について焦りもあり、看護師である母親の勧めもあり、卒業後に看護学校に進学しました。事務的な仕事よりも人と関わる仕事がしたいと考えていたので、看護師の道を選びました。新人の頃を振り返ると、とても忙しかったことが思い出されます。学生時代の実習と違い、担当する患者さんの数が多くなりますし、一緒に仕事をするスタッフも同年代だけでなく、とても歳の離れた先輩たちがいるので、初めはどう接したらいいか戸惑うこともありました。未だにこの仕事が向いているのかどうかは自分ではわかりませんし、人と関わる仕事を希望していましたが、人と関わるのか得意と思えたことはありません。ただ、患者さんも、一緒に働くスタッフもだんだんとわかり合っていくにつれて、自分がやっている仕事についても記憶してもらえるようになると充実感を感じるようになりました。看護については、疾患を看るということも大事ですが、心理的な部分が大きいように思うようになりました。
私は、人の役に立てる仕事、人を癒し、喜んでもらえるような仕事を将来の職業にしたいと考えていました。高校時代に病気になり、看護師さんに関わってもらう機会があり、看護師になるきっかけを得ました。職業体験や進路相談を経て、看護師になる道を選びました。実際に看護師になると、学生時代の実習とは全く違いました。実習では関わる患者さんは一人ですが、関わる患者さんが複数です。また、覚えないといけない業務もたくさんあり、仕事に慣れること、職場の人間関係になじむこと、夜勤を含めて生活リズムを作ることなど、新人の頃については必死過ぎる毎日が思い出され、本当に余裕がありませんでした。ただ、1年、2年とどんどん仕事に慣れてくるにつれて、患者さんが良くなる姿やご家族が喜ばれている姿を見て、「良くなって良かったなあ」と一息ついて喜べるようになってきました。看護師は患者さんが苦しい時に寄り添って、無事に帰ってもらえる喜びを得られる仕事だと次第に実感できるようになってきました。