カテゴリー別アーカイブ: 看護師

母の姿を見て意識し始めた看護師の道

私の母は小児科のクリニックに勤める看護師でした。幼い頃熱を出すと、保育園を休んで母の職場の休憩室で過ごすことがあり、母や他の看護師さんが面倒を見てくれました。看護師という職業を意識したのはその頃からだと思います。母は「いつも笑顔で働いている明るい看護師さん」というイメージでした。小学生から高校生へと成長していくなかで、将来の夢はパティシェ、学校の先生、保育士さん….とたくさん考え迷ったこともありましたが、幼い頃からずっと頭の片隅にあった看護師になりたいと思い看護師の道へ進むことを決めました。看護師の仕事は楽しいことばかりではなく、勉強が大変だったり、患者さんとの関わりが難しく悩むこともあります。しかし、人と関わることが好きなので、患者さんの笑顔に励まされながら今も頑張ることができています。


「あなたの笑顔で元気が出たよ」の言葉に勇気づけられ、常に笑顔を心がけるように

私が働くなかで一番大切にしていることは、常に笑顔を絶やさないことです。きっかけは学生の頃の看護実習です。初めての環境、初めての患者さんとの関わり、そして医師・看護師をはじめとした実習先の病院職員の方との関わりに加え、命や病気と向き合う現場に緊張と不安でいっぱいでした。担当させて頂いた患者さんはお話好きな方で、常に私を気遣ってくれていたように思います。最初はとてもぎこちなかった会話も、次第にスムーズにできるようになり、患者さんの身の上話もたくさん聞かせていただきました。退院の目には「最初は表情も硬くて、“この子は大丈夫かしら”と思ったけれど、あなたが一生懸命笑顔で接してくれて元気が出たよ。ありがとう。」と言ってもらえました。そのとき、笑顔の大切さに気がつきました。暗い表情、硬い表情は患者さんに不安と恐怖を与えかねません。患者さんに安心して治療を受けてもらえるよう、常に笑顔でいることを心がけるようになりました。看護大学を卒業し、医療センターに就職して4年が経とうとしています。配属は急性期病棟で、緊急入院となった患者さん、重症患者さん、手術をする患者さんもたくさんおられるので日々勉強が欠かせません。新人の頃は自分の不甲斐なさにへこむこと、うまくいかずに落ち込むこともたくさんありましたが、先輩の真似をしながらさまざまなことを学び、経験しました。年数が経つにつれ次第に重症患者さんを任されるようにもなり、勉強や経験の幅が広がっています。たくさんの経験を経て、仕事が効率よく進められるようになったこと、先輩から指示を受けなくても予測して行動できるようになってきたこと、患者さんと親身に関わることができ笑顔が見られるようになってきたことで仕事がおもしろくなってきたように感じます。これからもたくさんの知識・技術・経験を得つつ、笑顔で患者さんと関われたらと思っています


患者さんが安心して治療を受けられる環境作りに努めたい

笑顔は患者さんに安心してもらうためのひとつの方法ではありますが、それだけでは足りません。患者さんにとっては病気や治療自体が不安なものです。そのため、患者さんには間違った情報を伝えないよう丁寧に説明し理解を得ることが重要であると考えています。自分の知識が浅いと患者さんに正しい情報を伝えることができず、不信感を抱かせてしまう可能性があります。また、行う治療には、点滴や注射、手術や処置などの痛みを伴うものもたくさんあります。技術が未熟であると、それだけ患者さんに与える苦痛が強いものとなってしまいます。現場で働いていると、自分の知識不足や経験不足を痛感することが多々あります。それでも、患者さんからの「ありがとう」「おかげで助かったよ」などの言葉をいただけることがあり、喜びや達成感、やりがいを感じます。自分の努力で少しでも患者さんの不安を軽減できるよう患者さんと誠実に向き合い、患者さんが安心して治療を受けられる環境作りに努めていきたいです。

「病気やケガをしている人にかかわって助ける仕事もいいな」と思い看護師の道へ

子どものころ、看護師の仕事はたいへんだと周りの人から聞いていたので「あんまりなりたくないな」と思っていたのです。ところが高校3年生の7月に祖母が交通事故に遭うということがありました。お見舞いに行ったとき看護師さんの姿を見て「病気やケガをしている人にかかわって助ける仕事もいいな」と思いました。ちょうど進学先を決める直前で仲のいい友だちが看護師志望であったこともあり、私も准看護師の看護学校に進学しました。在学中に先生から「働いてからもう一度学校に通うのはたいへんだから卒業したらそのまま高等看護学校(高看)に行ったほうがよいよ」とアドバイスをいただき、卒業後はそのまま高看(3年間)に進学しました。そこには衛生看護科の新卒、准看護師で社会経験のある人、社会人から看護師を目指す人など、年齢も経験もいろんな人たちがいました。実習などたいへんでしたがそういう人たちといっしょに刺激を受け合いながらがんばりました。


しゃべるのは得意ではないが、いろんな職種の人とチームで患者さんを支えていきたい

新卒では松坂市の総合病院の脳神経外科・内科の病棟に配属されました。いっしょに4人が入ったのですが、新人は私だけで他の人は看護師経験のある転職組でした。プリセプターにも助けてもらってなんとかやれました。私は新人なりに自分の求める理想の看護を持ち「自分が患者だったらきっとこんなことを望むのではないか」とこだわって取り組みましたが、なかなかそれが実現できずに悔しい思い、ふがいない思いをしたこともあります。まだ新人でできないこともたくさんあるのに、高いレベルのことをしようとし過ぎたのかもしれませんね。その後8年脳外病棟、2年透析病棟で勤務しました。結婚を機に亀山市立医療センターに来ました。今年では14年目になります。2年ほど病棟勤務してから出産、育児で休暇をもらいました。復帰後は透析病棟で7年1年半前から内科・整形外科・外科の病棟で退院指導や看取りにかかわる看護をしています。久しぶりに病棟に戻ると地域包括病床ができていたり、退院指導が重要になっていたりでずいぶん様子が変わっていました。だから覚えること、勉強することがたくさんあってたいへんです。地域ごとに施設の受け入れ態勢(看護師がいるかどうか、24時間対応の有無など)も違っているので社会福祉士の相談員さんのサポートを得ながら進めています。私はしゃべるのが得意ではないのですが、患者さんや利用者さんとおしゃべりするのは好きなんです。医療はいろんな職種の人たちがチームで患者さんを支えていく感じがあってそれが好きです。


人とのかかわりが好きなので看護師は天職。「健康」を守る仕事に携わっていきたい

私は看護師に向いているタイプではないと今でも思うこともあります。ここまで続けられたことが自分でも不思議に思います。やはり周りの人に助けられてきたから続けられたのでしょうね。辞めたいと思ったことも一度や二度ではありません(笑)。
でも仕事を辞めるって勇気がいるじゃないですか。それと看護の仕事を辞めてまでやりたい仕事がほかにはないのです。人とかかわるのも好きだし、そういう意味では今のところは看護が天職なのかもしれません。看護師になって数年してから私は自分の興味から100歳を超えた方たちに「人生でいちばん大切なものは何ですか?」というアンケートをとったことがあります。その1位は「健康」でした。あれから何年も経ちますが、今になってもその「健康」を守る仕事にずっと携わっているんだなぁと思います。そういうアンケートを取っていたころが懐かしいです。またアンケートとって人生の先輩にいろんなことを聞いてみたいなぁとも思います。

看護師として何もできなくて無力感。上司の言葉に「やはり看護師を続けよう」と

10歳くらい年の離れた従姉(いとこ)がいて2人とも看護師だったのです。あこがれもあったのか小学生のころから自分は看護師になると決めていました。小学校の卒業文集にも「将来はナースになる」と書いていました。そこからは迷うことなく高校卒業後の進路も看護大学を選びました。大学に入るとあまりの忙しさに「(学生でも)こんなに忙しいに、本当に看護師になってやっていけるだろうか」と思ったこともありました。ほかの大学に進学して遊んでいる同級生を見てうらやましく思ったことも(笑)。でも一生懸命勉強して卒業しました。学生時代は小児科に行きたいと思っていましたが、小児科のある病院は限られているので就職は小児科にこだわらず家から通える民間の総合病院を選びました。そこで配属されたのはICUでした。ところがその1年目に祖父が自分の職場であるICUに運ばれ、結果として看取ることになってしまったのです。看護師として何もできなかった自分に無力感を感じてずいぶんショックを受けました。もちろん看護師としてなんとかできる範囲は超えていたと思うのですが、その経過を近くで見ていたので、その病院でそのまま看護師を続けることができなくなるほど悩みました。でも、そのときの上司がたいへん私に気をしてくれ、いろいろ言葉を掛けてくれました。そのおかげで「やはり看護師を続けよう」とまた気持ちを奮い立たせることができたことは今でも感謝しています。そして2年目の春から亀山市立医療センターに移って働きはじめました。


「困った患者さん」の行動にも日ごろから観察してその理由を察するようにしていきたい

こちらで配属されたのは急性期病棟。それまで経験していたICUと病棟では忙しさの種類が違うので最初は戸惑いもありました。ICUでは短期間に集中して少人数でケアしますが、病棟ではたくさんの患者さんを多くのスタッフでケアします。高齢の方や認知症の方もおられますのでコミュニケーションにも気を使います。たとえば、急に車いすから立ち上がるような患者さんは転倒の恐れもあるので、看護師にとっては「困った患者さん」です。でも頭ごなしに「急に立ち上がらないでください」というのではなく、なぜそういう行動をされたのかを考えるようになりました。どんな行動にも理由があります。その理由がわかれば事前に声を掛けることも、サポートをすることもできて危険な行動も避けられます。モゾモゾと体を動かしているときはトイレに行きたいとき、というような行動パターンがあるのです。ふだんからの観察が気づきにつながります。コミュニケーションができる患者さんには、何を望んでいたのかを聞き出して、もしその行動に危険がともなう場合はそれを伝えるようにしてします。もちろん一度でわかってもらえないときもありますが、そこは何度も根気強くかかわっていくしかありません。家族だとあきらめてしまうかもしれませんが看護師だからこそそれができます。


「焦っても仕方ない。やるべきことを繰り返してやるだけ」と思えるのが自分らしさ

患者さんにとって「入院」は人生での一大イベント。そこにかかわっていけるというのが看護師の仕事の魅力とも感じています。その大切な期間を少しでも安全に過ごせたと感じてもらえるように笑顔で接して、できるだけ声を掛ける、話ができる時間をつくり出す、などを心がけています。話がしやすい患者さんもおられますが、声を掛けても返事もしてくれない患者さんもおられます。そんなときは「今はたまたま体調が悪いのかもしれないから、次回また声をかけてみよう」と思ってめげずに声掛けは続けています。私たち看護師が忙しそうにしていると遠慮がちにされている患者さんもおられますので、忙しくてもそんなそぶりを見せないようにも気を使っています。私はよく「いつも冷静で落ち着いているね」って言われます。自分では意識はしていないのですが「やるべきことをやるしかない。焦っても仕方ない」と考えるタイプなのです。繰り返し声を掛けることや積極的にかかわっていくのが苦にならないのは自分らしさかもしれません。今年の春に「急性期ケア専門士」(2年以上の実務経験が受験資格)の資格をとったので、さらに専門性の高い看護をしていきたいと思います。

幼稚園のときに入院。 親切にしてくれた看護師に「ここの看護婦さんになってあげる」と言ったのがはじまり

私が看護師になろうと決めたのは幼稚園年長組の5歳のとき。私は重度のやけどをしたのです。入院生活を送り退院後も1か月ほど通院をしました。そのとき親切にしてくれた看護師さんが「大きくなったら何になりたい?」と聞くので、私は喜ばせようという気持ちもあって「ここの看護婦さんになってあげる」と答えたのです。するとその看護師さんは「待ってるよ!」と喜んでくれました。それ以来、私は「私は将来、看護婦さんになるんだ」と思い込んだのです。だから小学校の卒業アルバムにも、多くの友だちが将来の夢として「花屋さん」「ケーキ屋さん」と書くところを「看護婦さん」と書きました。当時、ほかにそう書いている子はいませんでしたね。親戚関係に医療従事者や看護師がいなかったので高校進学のときに衛生看護科のある高校に行きたいと言ったら親からは「高校は普通科に行って」と言われました。それで進学校に進みましたが私は1年のときから「高校卒業したら看護専門学校に進む」と決めていました。そしてそのとおり地元、大阪の看護専門学校に進学しました。


「3年働いたらやめよう」と思った気持ちはどこへやら・・・
結婚・出産・転居でも続けられる看護師の資格はやっぱり強い

それほど子どものころから熱望していた看護師の仕事でしたが、看護専門学校に入学したら、勉強はむずかしい、実習はきついので「自分が知識や技術を身に付けても、人の命にかかわる仕事を本当にやっているのか」と漠然とした不安を抱くようになりました。それでも引き返すわけにもいきません。「とりあえず国家試験に合格して3年間だけは働こう」と心に決めて国家試験前はそれまでにないくらい勉強しました。
無事合格してそのまま看護学校の系列の総合病院に入職。小児科を希望したところ小児科・消化器内科・精神科の混合病棟に配属されました。1年目はしんどかったですが、今と違って患者さんの年齢層も若くて長期入院患者も少なかったので続けることができたのかもしれません。「3年経ったらやめよう」という気持ちは薄らいでいました。辞める勇気がなかったのかもしれませんが(笑)。
結婚をして大阪から松阪市に転居しました。すぐに総合病院のパート職勤務が決まりました。「やはり看護の資格は強いな」とあらためて思いました。転職先の職場の雰囲気がすごく良かったことと、それまでの経験が活かされていることもあり「これからも看護師としてやっていけそうだ」と思いました。
その後、自分が患者として入院することがありました。そのとき私はナイーブになり、ふだんなら気にもならないようなことに一喜一憂することもありました。看護師さんから掛けてもらった言葉に救われたことが記憶にあります。でも具体的にどんな言葉かは覚えていないのです。「救われた」という気持ちは残っていてその看護師さんの顔も覚えています。その逆でつらかった言葉を掛けられたことも覚えていますが具体的な言葉は覚えていないのです。それだけ病気のとき患者はちょっとした一言に繊細になっています。体が弱っているときは心も弱っているのだと知りました。


子どもに看護師になってほしいと言ったことは一度もなかったのに、
看護師を仕事に選んでくれたことは最高にうれしかった

看護師を続けてきて良かったと思ったことがあります。私には2人の子どもがいます。小さいころは保育園のお迎えにいってそのまま勤務先に子どもを連れていったこともありました。そこで看護師という仕事を子どもなりに理解したのでしょう。私は子どもに看護師という仕事を勧めたことはありませんでしたが、上の子は進学の際に看護大学を選び、看護師になりました。親としてこれほどうれしいことはありません。
子育てもほぼ終わり、もっと仕事に集中したいと昨年の春にパート職から正規職員になりました。これまで以上に看護の仕事をがんばっていきたいと思っています。

経験したことのないことも、寄り添う中で関係を築いて良い看護に結びつくことに感じるやりがい

昔から看護師になりたいと思っていたわけではないのですが、中学、高校といっしょに部活まで過ごしていた仲の良い友だちに看護師になりたいという人が多くその影響を受けました。私自身も高校1年生のときに入院したことがあり看護師さんの仕事もイメージできました。地元の看護専門学校に進学して公立の市民病院に就職。学生時代の心電図の授業がおもしろかったのでICUや循環器科に興味をもっていたのですが希望どおりICUに配属されました。ICUはつねに生死と隣り合わせで、学生時代には習っていない病態、高度な治療法、薬剤ばかりで最初の3か月はたいへんでした。それでも乗り越えられたのは同期の仲間と丁寧にサポートしてくれた先輩たちのおかげです。ICUから救急外来、循環器、一般外来などで約10年勤務。その後に別の公立病院に転職しました。


患者さんの人生を思いながら、一人ひとりの退院後を考え、在宅での過ごし方を提案したい

配属されたのは抗がん剤での治療を行う化学療法室の外来でした。患者さんは命懸けで治療に来られている方ばかりです。病態や治療法、薬のことを学ぶことはもちろん、30代前半の自分がこれまで経験したことのない人生に寄り添うことの大事さを考え続ける毎日でした。患者さんは若い方もおられれば高齢の方もいる。自分と同じように子育てをされている方もいる。寄り添うと一言で言っても、それぞれの取り巻く環境は違います。「何を目標に生きていくのか」一人ひとりの思いをしっかり聞きながら、治療だけでなくこれまでとこれからの人生を受け止めることを心掛けました。その後に放射線治療の看護も経験しました。毎日治療に来られる患者さんとコミュニケーションをとりながら、患者さんが抱える課題を聞き出します。同じ副作用でも患者さんによって自宅でできることは違います。いろんな患者さんの話を聞くことでセルフケアの共通点を見つけ出して在宅時の過ごし方を提案。それが良い結果に結びつくときにやりがいを感じました。そうするなかで在宅看護に興味をもち訪問看護ステーションでも1年働きました。


がん看護、訪問看護の経験で感じた家族のケア。
患者さんの快適につながる家族の支援もしていきたい

中学からの同級生が勤めていることもあり、ご縁があって2024年春から当センターに勤務しています。これまで経験した外来、がん看護、いろいろな背景をもつ患者さんへの看護の経験が活かせる外来勤務です。高齢の患者さんが多いので付き添いのご家族も多く来られます。患者さんだけでなくご家族からの情報収集もたいせつです。患者さんが在宅で快適に過ごすにはご家族の協力が不可欠だからです。しかもご家族も課題を抱えていることもあります。老々介護などの問題もこれから増えていきます。家族支援も含めて自分に何ができるかを考えていくことがこれからの課題です。

祖父にうれしそうにさせる看護師さんの姿に「素敵だなぁ」と思ったのがきっかけ

 小学校高学年のとき大好きな祖父が入院しました。病院にお見舞いに行っても「おじいちゃんのために自分は何ができるんやろ?」と思いました。そんなとき看護師さんが来て身の回りのお世話をすると、祖父がニコニコとうれしそうな顔をするのです。そのとき「看護師って素敵な仕事だなぁ」と思ったのが看護師を目指すきっかけでした。高校に進学するときに地元の高校から県立看護大学に行けば奨学金が出ることを知り目標とする大学も決まりました。高校に入ってからも大学進学を意識して勉強にも力を注ぎました。家族の応援もあり無事に大学入学でき看護の勉強もやり切りました。「必ず看護師になる」という強い気持ちがあったから乗り切れたのだと思います。
 

新人時代は毎日が「いっぱいいっぱい」
支えてくれたのは、ベテランのプリセプター、社会人経験のある同期ナース

新卒で亀山市立医療センターに就職。急性期病棟に配属されました。疾患と病状の関係は学校で習っていたはずですが、実際に目の当たりにするとうまく結びつかずアタフタしていました。毎日が「いっぱいいっぱい」です。そんな私に周りの先輩方は細やかに教えてくれました。こちらにはプリセプター制度(先輩看護師が新人看護師に対して1年間マンツーマンで臨床実践を指導する制度)がありますが、そのときにプリセプターになっていただいたベテランの先輩の存在が大きかったです。また同じ病棟に配属された同期看護師がもう一人いたのですが、その方は一回り上で社会人経験を経てから看護学校に通い看護師になった方でした。2人に共通するのは看護師として以前に、人としてどう患者さんに接するかをいつも考えておられたこと。社会人としての経験や知識が看護に必要だと学ばせてもらいました。
新人のころから心がけていることが2つあります。1つは「患者さんに対して誠実であること」。患者さんには人生の先輩もたくさんおられます。リスペクトの気持ちを忘れないようにすることです。2つめは「学び続けること」。経験を積むと当たり前のように「あぁこれは前にもやったことがある」と考えて「なぁなぁ」になってしまう危険性があります。しかし、同じ疾患でも患者さんによって症状が違うこともあります。また患者さんのもつ背景はそれぞれ違いますから違った対応を考える必要も生まれます。医療の進歩もあり知らない用語、技術、薬も増えていきます。


11年の経験を積んでもまだまだ学ぶことがある。
視野が広がれば広がるほど、見えてくる新しい課題

私は看護師歴11年になりますが、経験を積めば積むほど看護の奥深さを感じます。経験が少ない狭い視野だと見えなかったことが、視野が広がれば広がるほど新しい課題や学ぶべきことが見えてきます。だからこそ学び続けることが大切なのだと思います。気になったことは仕事時間ではなくても調べることもあります。
今は慢性期の患者さんを担当していますが、どうやって無事に退院してもらうかをいつも考えています。退院には患者さんはもちろんですが、患者さんのご家族、医師をはじめ退院に関わる部門のスタッフ、そして退院後に関わる地域施設との連携、調整が必要です。患者さんを取り巻くいろんな人との橋渡しをするのが看護師の大きな役割となります。患者さんにいちばん近いはずのご家族でもコミュニケーションのすれ違いは起こります。患者さんが発するメッセージの本質を聞き逃さないこと。退院をスムーズに進めていくためにこれからますます看護師の橋渡しの役割は大きくなるでしょう。
3年前には自身の親の看取りも経験しました。今はまだ子育ての真っ最中ですが少し落ち着いたら、在宅看護や看取りにかかわる看護についても学んでいきたいと思っています。看護は人生のすべての経験が役に立つ仕事だと思います。

お見舞いで見た白い服を着たお姉さん。『あのお姉さんが看護師』がきっかけで看護師に

私がまだ幼い頃に妹が入院しました。お見舞いに行くたびに白い服を着たお姉さんがいました。そのお姉さんが優しく接してくれて妹が元気になっていくのを感じました。中学生になり、医療現場のテレビ場組を見た時に『あ、あのお姉さんが看護師だったんだ!』と認識しました。その時に私の将来の夢は『看護師』に決まりました。高校進学の時に看護科のある高校を選び、入学後は学科や実習、レポートと大変でした。そして、実習を通じて人と接することが好きなんだと実感しました。5年間の学校生活後半は母親の看病をすることになり、看護師の資格は取れず准看護師としての卒業となりました。その准看護師時代に当センターにお世話になりました。


『プロは患者さんの前では涙を見せてはいけない。』初めての看取りで涙した私にもらったアドバイス

1年目に担当させてもらった患者さんが急変され、そのままお亡くなりになることがありました。意識はあった患者さんでした。『人の命とはこんなに儚いものなのか』と私は動転し現場で泣いてしまいました。そのとき看護師長さんがそっと廊下に私を呼んで『ご家族もおられます。私たちプロは現場では涙を見せてはいけません』と優しく言ってくださいました。そして、自分の立場を自覚しました。それから私は、総合病院に転職し国家試験の勉強を続けながら看護師資格を取得することができました。総合病院での9年間で、自分のスキルアップや新人教育や育成・指導にも携わり、後輩を育てる楽しみも味わうことができました。その後内科クリニックに勤務しました。御高齢の理事長・院長先生が地域密着型の医療を実践されていました。そこで、私は、理事長・院長先生の患者さんに対する医療だけにとどまらない、他愛のない会話から見える温かい雰囲気や優しさや真心に触れることができました。


18年ぶりに戻った当センター、毎日の小さい積み重ねで繋がる患者さんの変化、そんな『看護の楽しみ』を伝えていきたい

病院にとどまらず、介護福祉の現場へと転職しました。施設から社会復帰される方や退院から入所される利用者さん一人一人の状況を見ながら『何ができるかを考える看護』や『多職種と連携していく看護』にもう一度チャレンジしたいという気持ちが出て来ました。新人時代に何の役にも立てずに現場で涙を流した私。いろんな経験を積んだ今なら当センターで役に立てるかもと思い、私は『採用試験を受けさせて下さい』と電話しました。すると電話口で対応していただいたのは、18年前に私にプロ意識を教えてくれた当時の師長さんだったのです。あれから私は看護師資格取得を諦めず、いろんなご縁に助けられながら『居るべきところ』に戻って来たのだと思いました。
今でも日々が勉強。毎日の積み重ねが変化に繋がります。患者さんの変化を感じる時に看護の楽しみを実感します。後輩や新人さんにもそんな楽しみを感じてもらえるように伝えていきたいと思ってます。

「大変だけど人に喜ばれる仕事よ」と小学生のとき看護師の母に言われ、その気になった私

 看護師だった母。夜勤などあって忙しい仕事だと知っていたけど、いつもいきいきとしていました。小さいころに母の職場にも連れて行ってもらったこともあります。「たいへんだけど人にありがとうって感謝してもらえる仕事よ」と言って笑う母がとても頼もしく魅力的に見えました。だから私が小学校の卒業式のときに「将来の夢は看護師さんになることです」と発表するほど私の気持ちは決まっていました。
 高校の進路相談のときも迷わず看護専門学校への進学を決めていました。そのころ父が新聞でこの亀山市立医療センターの記事を見て奨学金をもらいながら学校へ通うことができることを知ったのです。そこで奨学生となり学校に通い新卒でこちらの病院に就職しました。


「こんな先輩になりたい」。新人のときに指導いただいた先輩の姿のような存在になりたい

就職して8年目。ずっと同じ西病棟にいます。この病院は先輩方がみんな優しく親切で居心地がいいです。とは言っても新人時代は苦労しました。学生時代の実習では一人の患者さんだけを担当するだけでしたが、実際は10人以上の患者さんを担当しないといけません。こちらの患者さん処置をしているとあちらの患者さんから声がかかります。いつも業務に追いかけられている感じでした。私の指導担当の先輩は10年目くらいで仕事のできる方でした。先輩を見ていると日ごろから患者さんのことをよく観察されていて、それぞれの性格まで把握されていました。自分もそれを意識してみるとだんだんそれぞれの患者さんが何を求めているのかわかるようになってきたのです。あるとき患者さんのご家族がお見舞いに来る前に先輩から「せっかくだから髭をそっておきましょう」と言われ実施しました。するとご家族が「こんなにきれいに髭までそってもらって」と喜んでいただきました。それがまた患者さんにも伝わりました。「あぁ看護って病状を見るだけでなく患者さんの身の回りやご家族のことも考えることなんだ」ってわかりました。そして「私もこんなふうに教えられる先輩になりたい」という思いで仕事を覚えました。4年目になるころから私も新人の教育を任されるようになりました。それほど年齢が違わないはずなのにジェネレーションキャップを感じることもありますから(笑)教育の難しさを感じます。私の教え方で新人さんの看護師人生が左右されるかもしれないと思うので、今でも毎年気が引き締まります。


ご自宅の状況などを把握して、地域連携室と協働し、患者さんには上手く地域に戻って頂きたい

地域密着の病院ですので、繰り返して入院されて来られることもめずらしくありません。ですから患者さんはもちろん、そのご家族や退院後にお世話になる施設の方々との信頼関係を築くことも大切にしています。たとえば退院後にご自宅に戻られる患者さんのご家族には退院前から患者さんの様子をお知らせするようにします。ご家族は入院前の状態になって退院してくることを期待されますが、必ずしもそうとは限りません。現状を正直にお伝えすることでそのギャップを生まないようにすることも退院後の生活には大切です。また再入院を繰り返される患者さんには、その原因を明らかにして入院中に予防策を立てて退院できるようにしていただきます。ときには厳しいことを言わねばならないこともありますが、それによってご家族からも家での患者さんの様子をお聞かせいただくこともあります。そうやって信頼関係ができることも多いです。今はリーダーとして患者さんが無事に退院できるように退院調整を任されています。ご自宅の状況や転院される施設の特徴などを把握して、地域連携室と協働しながら患者さんが上手く地域に戻れるようにしていきたいと思っています。

自分がやっている仕事についても記憶してもらえるようになると感じるようになった充実感

私は、大学生の頃、特にやりたいこともなく3年生・4年生を迎えていました。就職について焦りもあり、看護師である母親の勧めもあり、卒業後に看護学校に進学しました。事務的な仕事よりも人と関わる仕事がしたいと考えていたので、看護師の道を選びました。新人の頃を振り返ると、とても忙しかったことが思い出されます。学生時代の実習と違い、担当する患者さんの数が多くなりますし、一緒に仕事をするスタッフも同年代だけでなく、とても歳の離れた先輩たちがいるので、初めはどう接したらいいか戸惑うこともありました。未だにこの仕事が向いているのかどうかは自分ではわかりませんし、人と関わる仕事を希望していましたが、人と関わるのか得意と思えたことはありません。ただ、患者さんも、一緒に働くスタッフもだんだんとわかり合っていくにつれて、自分がやっている仕事についても記憶してもらえるようになると充実感を感じるようになりました。看護については、疾患を看るということも大事ですが、心理的な部分が大きいように思うようになりました。


患者さんに対してチームで一人ひとりの知識や経験を活かして取り組むことができるのが魅力

私が看護をする上で大切にしていることは、初歩的なことです。それは、話し方や目線といったことです。例えば、肺炎を起こした患者さんにとって「抗生剤で治療します」と言われても何のことかわからず、返って不安な気持ちにさせることがあります。わかりやすく、納得してもらえるようなコミュニケーションを心掛けるようにしています。また、患者さんは寝ていることが多いので、私のように身体が大きい男性看護師が覗き込むと、圧迫感で恐怖心を抱かれます。患者さんとの目線というのを常に意識しながら関わっています。この仕事の魅力は、患者さんが良くなるプロセスに関わり、「良かったなあ」という思いを抱けるところはもちろんですが、何度も入院される患者さんとは関係が深まり、親身になります。そして、そういった患者さんに対してチームで一人ひとりの知識や経験を活かして取り組むことができるのが興味深いところだと感じています。看護師同士のチーム、多職種とのチーム、地域の関係者ともチームとなって患者さんを支援していけるのが魅力だと思っています。


いずれは専門分野を決めて強みにし、看護師としてどんどん有益な経験を積んでいきたい

すでに5年目を迎えているので、新人教育などに関わるようになりました。以前は、新人はプリセプターと1対1の関係で教育を受けていましたが、今年からチームで新人看護師を育成するようになりました。そんな中で、私は自身の新人時代を思い出して、「わからないことはわからないと言えば良い」「大して聞くことがないかもしれないけれど尋ねてください」といった風にできるだけ新人にとってのハードルを下げるように工夫しています。看護師は女性が多く、私は男性なのであまりガツガツと関われると負担になってもいけないので、他のスタッフに対して「気に掛けてあげてね」とお願いして、できるだけ仕事や職場に馴染んでもらえるように気に掛けています。私個人のチャレンジとしては、興味が湧いたらという前提ですが、いずれ専門分野を決めて、看護師としての強みをつくっていきたいと考えています。新しいことを学ぶことは楽しいですし、知識を拡げ、深めて、看護師としてどんどん有益な経験を積んでいきたいと思います。

必死過ぎる毎日を経て、無事に帰ってもらえる喜びを得られる仕事と実感できた新人時代

私は、人の役に立てる仕事、人を癒し、喜んでもらえるような仕事を将来の職業にしたいと考えていました。高校時代に病気になり、看護師さんに関わってもらう機会があり、看護師になるきっかけを得ました。職業体験や進路相談を経て、看護師になる道を選びました。実際に看護師になると、学生時代の実習とは全く違いました。実習では関わる患者さんは一人ですが、関わる患者さんが複数です。また、覚えないといけない業務もたくさんあり、仕事に慣れること、職場の人間関係になじむこと、夜勤を含めて生活リズムを作ることなど、新人の頃については必死過ぎる毎日が思い出され、本当に余裕がありませんでした。ただ、1年、2年とどんどん仕事に慣れてくるにつれて、患者さんが良くなる姿やご家族が喜ばれている姿を見て、「良くなって良かったなあ」と一息ついて喜べるようになってきました。看護師は患者さんが苦しい時に寄り添って、無事に帰ってもらえる喜びを得られる仕事だと次第に実感できるようになってきました。


忙しい中でも、患者さんに寄り添い、家族ともコミュニケーションを取る工夫を大切していきたい

仕事がちょっと忙しいと機械的に流すといったことは、看護師に限らずどんな仕事でもあるかもしれません。状況によっては、それも決して間違いとは思いませんが、私は、そうした忙しい中でも、患者さんに寄り添い、家族ともコミュニケーションを取るといった工夫を大切にするように心掛けています。例えば、今日はこの患者さんとしっかり関わりたいと決めて、その分、いかに仕事を早く終わらせるかと時間の作り方を工夫します。また、今日は担当の患者さんの顔を見て少し雑談しに行こう、洗髪の時にこんな話をしてみようと決めて、患者さんの人生や生活背景を知る機会を作ります。病気のことでなくても、困っていることを自然と聞き出すことで、退院調整のヒントを得て、患者さんにとってその人らしい日常生活が送れるように考えるようにしています。どんな忙しい時でも、たとえ少しの時間の何気ない会話を大切にして、患者さんにより質の高い看護を提供していきたいと考えています。


患者さんを家族のように温かい気持ちで看護でき、「こんな看護はいいなあ」と実感する日々

当院に就職してちょうど1年が経ちます。当院で働いている知人から、地域密着型の病院で、亀山市民のリピーターの患者さんが多く、地域医療が根付いていることを聞き、この病院で働きたいと思い入職しました。実際に、リピーターの患者さんが多く、患者さんとの距離が近く、家族のような感覚で看護をしています。以前はこういうことで入院した、普段はこういうことで通院している、今回はこういうことで入院するといった感じで、患者さんのあらかたのことは知っていると感じで関わっています。1年しか勤務していない私でも、そう感じる患者さんはたくさんおり、「こんな医療や看護はいいなあ」と温かい気持ちで仕事をしています。また、看護師同士はもちろん、医師をはじめとする多職種の人たちとも距離が近いので、みんなで地域貢献をしている気持ちで仕事をしています。恵まれた職場環境の中で、もっと意見やアイデアを出して、当院に期待している地域の人たちに貢献していきたいと思います。入院患者さんのみならず、ご家族への思いも大切にしていきたいと思います。