私が看護師になろうと決めたのは幼稚園年長組の5歳のとき。私は重度のやけどをしたのです。入院生活を送り退院後も1か月ほど通院をしました。そのとき親切にしてくれた看護師さんが「大きくなったら何になりたい?」と聞くので、私は喜ばせようという気持ちもあって「ここの看護婦さんになってあげる」と答えたのです。するとその看護師さんは「待ってるよ!」と喜んでくれました。それ以来、私は「私は将来、看護婦さんになるんだ」と思い込んだのです。だから小学校の卒業アルバムにも、多くの友だちが将来の夢として「花屋さん」「ケーキ屋さん」と書くところを「看護婦さん」と書きました。当時、ほかにそう書いている子はいませんでしたね。親戚関係に医療従事者や看護師がいなかったので高校進学のときに衛生看護科のある高校に行きたいと言ったら親からは「高校は普通科に行って」と言われました。それで進学校に進みましたが私は1年のときから「高校卒業したら看護専門学校に進む」と決めていました。そしてそのとおり地元、大阪の看護専門学校に進学しました。
「3年働いたらやめよう」と思った気持ちはどこへやら・・・
結婚・出産・転居でも続けられる看護師の資格はやっぱり強い
それほど子どものころから熱望していた看護師の仕事でしたが、看護専門学校に入学したら、勉強はむずかしい、実習はきついので「自分が知識や技術を身に付けても、人の命にかかわる仕事を本当にやっているのか」と漠然とした不安を抱くようになりました。それでも引き返すわけにもいきません。「とりあえず国家試験に合格して3年間だけは働こう」と心に決めて国家試験前はそれまでにないくらい勉強しました。
無事合格してそのまま看護学校の系列の総合病院に入職。小児科を希望したところ小児科・消化器内科・精神科の混合病棟に配属されました。1年目はしんどかったですが、今と違って患者さんの年齢層も若くて長期入院患者も少なかったので続けることができたのかもしれません。「3年経ったらやめよう」という気持ちは薄らいでいました。辞める勇気がなかったのかもしれませんが(笑)。
結婚をして大阪から松阪市に転居しました。すぐに総合病院のパート職勤務が決まりました。「やはり看護の資格は強いな」とあらためて思いました。転職先の職場の雰囲気がすごく良かったことと、それまでの経験が活かされていることもあり「これからも看護師としてやっていけそうだ」と思いました。
その後、自分が患者として入院することがありました。そのとき私はナイーブになり、ふだんなら気にもならないようなことに一喜一憂することもありました。看護師さんから掛けてもらった言葉に救われたことが記憶にあります。でも具体的にどんな言葉かは覚えていないのです。「救われた」という気持ちは残っていてその看護師さんの顔も覚えています。その逆でつらかった言葉を掛けられたことも覚えていますが具体的な言葉は覚えていないのです。それだけ病気のとき患者はちょっとした一言に繊細になっています。体が弱っているときは心も弱っているのだと知りました。
子どもに看護師になってほしいと言ったことは一度もなかったのに、
看護師を仕事に選んでくれたことは最高にうれしかった
看護師を続けてきて良かったと思ったことがあります。私には2人の子どもがいます。小さいころは保育園のお迎えにいってそのまま勤務先に子どもを連れていったこともありました。そこで看護師という仕事を子どもなりに理解したのでしょう。私は子どもに看護師という仕事を勧めたことはありませんでしたが、上の子は進学の際に看護大学を選び、看護師になりました。親としてこれほどうれしいことはありません。
子育てもほぼ終わり、もっと仕事に集中したいと昨年の春にパート職から正規職員になりました。これまで以上に看護の仕事をがんばっていきたいと思っています。