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高校時代に看護師になろうと決意

story009-01[1]看護師 末安静香
子どものころから「将来は保母(保育士)さんになりたい」という夢を持ち、高校時代にはピアノを習い始めたのですが、ある日、友だちから「保母さんって結婚してから働くのは難しいらしいよ(今はそんなことありませんが)」という話を聞きました。「それは困る!」と思った私は「それなら看護師になろう」と思って方向転換(笑)。ピアノを辞めて看護師になるという夢を追いかけることにしたのです。
親戚に看護師がいたことからこの仕事に興味を持っていたこともあり、家族が病気になっても助けられると思ったのが看護師をめざす動機でしたが、今思うと小さいころにはケガをしたら消毒するのが好きで必要以上に処置をしたり(笑)、特別支援学級の子を助けたりするのが好きだったので、看護師になりたいという潜在的な意思があったのかもしれません。
九州で育った私は地元の看護学校に進学。そして卒業後は都会の大きな病院で勉強したいと考えて、大阪の病院に就職しました。

周りの人たちがいたからここまで来られたと感謝

元々保育士になりたいと思っていたこともあり、卒後は小児科病棟で看護師のスタートを切りました。大阪で3年間、最先端の看護を勉強したら地元の九州に帰るつもりでいたのですが、当時知り合った人と結婚が決まり、夫の仕事の関係で三重県に移り住むことに。そして当院に転職することになりました。
転職当時は、小児科しか経験のなかった私は大人の患者さまへの対応に戸惑い、知らない土地で新しい生活をスタートさせたばかりの不安も重なり、大変だったことを思い出します。また、妊娠・出産の折には周りに迷惑をかけてばかりだったのですが、スタッフはみんな温かく接してくださいました。核家族ということもあり、産後もライフスタイルに応じた勤務が出来るよう配慮をいただいたこと、そして「お母ちゃんは頑張って仕事しなよ」と大きな器で子どもを預かってくださった保育士さんの存在があったから、ここまで仕事を続けられたと、周りの人たちに感謝するばかりです。
そして子どもも大きくなったので、これからは子どもを持つスタッフを助けながら頑張らなきゃと思う毎日です。

「聴く」ということを心に留めて

story009当院では長年透析室で勤務をしていたのですが、透析看護は患者さまと長く付き合えることが魅力でした。病気と付き合いながら生きる患者さまはみんな心が温かく、家族のように接してくださいます。そんな風に接しながらたくさんの事を患者さまから学ばせていただいたように思います。今は病棟で勤務し、患者さまの想いに沿った看護の大切さと難しさを実感しているところです。
当院のいいところは、職員全員が顔を知っているし、患者さまとの距離も近くアットホームな環境だということ。そのいいところを強化できるよう、今以上にコミュニケーションを深めることが大切だと思っています。患者さまやご家族にはそれぞれの立場でいろんな想いをお持ちです。それを聴いて出来る限りお互いの想いに添える援助をしたり、スタッフもいろんな想いを持っているのでその想いを聴いてスタッフ間の人間関係を深めたり・・・。そんなことをしていくのが私のこれからの目標です。
看護師になってよかったと思うのは、仕事をしたら感謝していただけるということ。その感謝に充分応えられる看護ができるよう、これからも相手の想いを「聴く」ということを心に留めて仕事をしていこうと思います。

手に職をつけたいと思ったから

story008-01[1]看護師 笠井裕美
幼いころから白衣への憧れを持っていた私は、将来の職業を考える時「看護師なら手に職をつけることが出来て一生働ける」と思ったのが看護師になろうと決める動機になりました。
看護学校に進学してからは、きれいな仕事ばかりではないことを目の当たりにして戸惑う場面もあったのですが、人と接することが好きだと思う気持ちが高まり嫌だと思うことはなく看護師に。そしてこれまで続けて来られたのは、やはりこの仕事が好きなんだと思います。
当院では、長らく外来勤務をしていたのですが、ある時病棟に異動することになりました。当時の私は病棟勤務をしたことがなかったため、わからないことばかりで戸惑いながら精一杯の精神状態で仕事を続ける毎日。そんなとき、長年外来に来てくださっていた患者さまが入院して来られたのです。

患者さまから助けられた思い出

その方は、ターミナルで残された時間は少ししかありませんでした。看護師の私は、その方の気持ちを支えるのが仕事です。しかし私はお顔を見たら辛い思いが込み上げてきて、不覚にも患者さまの前で泣いてしまったのです・・・。
病棟で何も出来ず辛いという気持ちを打ち明けると「あんたなら大丈夫!」と励ましてくださり、その患者さまが病棟で信頼している看護師に私の事を頼んどいてあげるからと・・・。
その言葉に安心して力をいただいたと同時に、いつまでも泣いているのではなく、私がこの患者さまを助けなければいけないという強い気持ちが生まれたのを今も覚えています。その時から少しずつ病棟に適応できるようになったのですが、この患者さまがいなければ今の私はなかったかもしれません。その後、その患者さまは亡くなられたのですが、いつまでも私の心にその方は生き続けてくださっているように思います。

気持ちが前向きになれるような援助がしたい

story008看護をしていると、相手の立場や気持ちを考えて言葉を選ぶことの大切さを実感します。
以前出会った患者さまは、寝たきりで介護が必要でしたが、看護師の援助に拒否的な反応を繰り返す方でした。しかし、困っておられることに対して「お手伝いさせていただいてもいいですか?」とお願いすると、すんなり援助を受け入れてくださいました。
元々会社の社長をされていたという事もあり、私たちの伝え方がプライドを傷つけ拒否的な反応になっていたのかもしれません。そんな風に、言葉一つも注意を払うことが必要だということ、そして人生の大先輩に敬意を持って接することの大切さを患者さまから教えていただくばかりです。
私の看護へのモットーは、患者さまの気持ちが前向きになれるような援助がしたいということです。そのために、言葉を選びながら、自分より目上の人として敬意を払うことを心がけて、相手の気持ちに配慮しながら看護をしたいと思っています。

女性の自立を考え看護師に

story007-01[1]副看護師長 桜井エミ
子どもの頃から音楽が好きで、高校生になるまでは、将来は音楽に関係した仕事に就きたいと思っていました。ところが高校の授業で、女性の自立について学んだ時に心が大きく動き「手に職をつけたい」という気持ちになって、看護師に興味を持ちはじめたのです。そこで看護師の一日体験に参加。その時「こういう仕事っていいかも・・・」と感じ、看護師になりたいと考えるようになりました。
それを両親に伝えると、「おっとりした性格だから務まらない」と大反対(笑)。両親は音楽の道に進んでほしかったようですが、反対されると余計に気持ちが高まり、看護師になることを決めました。
学校では、両親の不安通りにテキパキ動くことができず大変な思いもしましたが、それでも嫌だと思うことは一度もなく、無事に資格が取得できました。

心を支えられる存在になれたら嬉しい

就職したのは看護学校の系列病院。そこで2年間勤めて結婚し、転居に伴い当院への転職を決めました。当時、本院はオープン直後で何もかもが新しく、すべてのことをみんなで作り上げる状態でした、私は3年目だったので、本来即戦力にならなければいけないものの、初めて外科病院に配属されたこともあり、わからないことの連続でした。患者さまに寄り添った看護がしたいのに、目の前の業務で手一杯の自分が情けなく、出来ない自分に対して悔しかった気持ちは今も心に残っています。
そんな日々を過ごしながら、気がつけば看護師になって随分の時が流れました。今は、たまに患者さまから「あなたがいてくれたらホッとする」とか「安心する」と言っていただくことがあり、そんな時はやっぱり嬉しいですね。
以前、ある人から「看護師は、人が亡くなる時に一緒に居ることが許される数少ない仕事だ」と聞かされたことがあり、その時には、そんな仕事に就いた者として、気を引き締めたいと思ったものです。病院で仕事をしていると、ここにいるのが当たり前になりますが、患者さまやご家族にとっては病院で過ごす時間は一大イベント。人生の選択を迫られたり、生活の軌道修正を強いられたりする患者さまやご家族の傍で、看護師として心を支えられる存在になれたら嬉しいと思っています。

看護師の存在意義を一緒に考えたい

story007以前、母が脳梗塞で倒れ、父が介護をしていた時期がありました。父も肺疾患を持っていたのですが、母の介護に手を取られて無理をしていたのだと思います。ある日、私が実家に行くと父の状態が悪く、すぐに病院に連れて行ったのですが手遅れでした。すぐに挿管が必要になり、その後呼吸器を外すことなく他界してしまったのです。「もっと早く受診していればこんなことにならなかったはずだ」と私は自分を責め続けて父に付き添っていたのですが、そんな私の傍にいてくださった看護師さんは、とても大きな存在でした。患者の家族を経験し、看護師が傍にいることの意味が再確認できたように思います。当院では長らく教育委員をしていますが、そんな看護師の存在意義を一緒に考えるような教育が必要だと思っています。
今は教育委員長なのですが、当院の看護師には患者さまやご家族の気持ちを察して行動できる力をつけて欲しいですね。看護の理論も大切ですが、まずは人として、相手を思いやる心を持って欲しいと願っています。
私は決して優等生ではないので、できない人の気持ちがよくわかるんです(笑)。だからこそできる現職看護師への教育をし実践し、みんなで一緒に成長できれば幸せです。

人の命に向き合う日々と出会った

story006-01[1]看護助手 山下美和江
若いころ、白衣の天使に憧れて病院に就職したのですが、結婚を機に退職。農家に嫁いだ私は、専業主婦をしていました。時が過ぎ、主婦のパートをしているうちに「もう一度病院で働いてみたい」という気持ちが湧いてきました。そして、大きな不安があったものの、勇気を振り絞って病院に就職したのです。初めは新しい世界に戸惑いながらも、毎日新たな発見があり、ワクワクした気持ちで働いていたことが、今も印象に残っています。
病院に勤めて初めて患者さまの死を見た時は、大きなショックでした。また、最も驚いたのは、亡くなった患者さまを病理解剖の部屋にお連れするという体験。ほんの今まで息をしていたその方が亡くなり、すぐに解剖するという現実に戸惑い、人間の脆さを実感しました。病院に勤めたおかげで”人の命”に向き合うきっかけをいただき、命の儚さ、そして人生の尊さを学んだように思います。

熱意は伝わるものだから

この病院に来たのは、平成7年。もう随分長くお世話になっています。仕事をしていて嬉しいのは、患者さまやご家族が感謝の言葉をかけてくださる時でしょうか。些細なことでも喜んでくださったら、それに甘えず「もっといい援助をしなければいけない」と思います。
病棟には若い看護師さんが多く、みんな私の娘のような気がして、つい厳しい言葉も投げかけます。長年ここに勤めている私は、たくさんの患者さまや看護師さんとの思い出が詰まっているこの病院が大好きなんです。みんなの力で創りあげてきた病院だから、もっといい病院になってほしいと願うがあまり、いつも口うるさくなってしまいます(笑)。
看護師さんを見ていると、親身になって患者さまの事を考えて看護する姿に感動する場面に出会う傍ら、責任感に欠けるのではないか?と思う場面に出会うことも。患者さまは何も言わないけれど、看護師さんの姿勢は察知するものです。熱意は伝わるものだから、口先だけの親切ではなく心を込めてお世話してほしいと思っています。

人生に悔いを残したくない

story006私の仕事へのこだわりは「誰かが困らないようにしよう」「決められたことは必ず守ろう」と考えて行動すること。たとえば衛生材料を常に補充しておかなければ、看護師さんらが迅速なケアをすることが出来ません。そうすると医師や看護師が困るだけではなく、結果的に患者さまに迷惑をかけてしまいます。だからいい加減な仕事はしたくないと考え、日々の業務にあたっています。
今、この歳まで仕事を続けて来られたのは、この仕事が大好きで、この仕事以外に考えられないという気持ちから。この歳になると、仕事があること自体がありがたく、活きる支えになっています。
だから私は、これまでの人生に後悔はありません。この先も自分が納得できる仕事をして、人生に悔いを残さないようにしたい。そう思うと、患者さまには出来る限りのことをしてさしあげたいという気持ちになり、多くの人のお世話をさせていただけることが幸せだと感じることが出来るのです。

知識と技術から看護師の笑顔はうまれる

story005-01[1]外来看護師 林ともみ
幼いころ病弱だった私は、入退院を繰り返していました。子ども心に、点滴や注射が怖くても看護師さんの笑顔に心を支えてもらい、乗り切れた気がしていました。そんな看護師さんの優しさに触れるうち、自分も看護師になりたいという気持ちが湧きあがり、この道に進もうと決めたのです。
看護学校に進学してからは、看護師が患者さまの前で笑顔でいるためには、知識を持ち、技術に対しても自信を持つことが必要だと実感。そして、看護師さんの笑顔に支えられて進路を決めたのだから、頑張って知識や技術を養って笑顔でいられるよう努力しようと思いました。
卒業後は、総合病院の循環器外科の病棟で一歩を踏み出しました。その病棟は、生命に直結した心臓疾患の患者さまなどを受け入れ、重度の先天性心疾患などの子どもも入院しており、子どもが亡くなる場面にも立ち会うことがあったのです。当時の私は、そんな風に子どもが亡くなるのは辛いと感じていたのですが、子どもの死を看取るご両親の気持ちをどれだけ理解していたのだろう?と、今になって思います。

相手の痛みを想像して接したい

忘れられない出来事は、命を助けることは出来ないだろうと判断された赤ちゃんのこと。お母さんが「抱っこさせてほしい」と言われ、たくさん入っている点滴ルートが抜けないようにスタッフみんなでサポートし、赤ちゃんを抱っこされたお母さん。その表情は今も忘れることが出来ません。
自分の子どもを持って初めて、子どもを失うとはどれほど辛く、耐えがたいものかを想像できるようになり、立場を経験してはじめて相手の心の痛みがわかることを実感しました。
とはいえ、同じ立場を経験することなどできません。けれども、出来る限り相手の立場で考え、痛みを想像して接することの必要性を痛感します。
今は当院の外来で勤務しており、子育てとの両立を考えて、日勤だけのパートという勤務形態ですが、与えられた仕事には責任を持とうと心がけるようにしています。外来は、その病院の顔であり、看護師の対応が病院のイメージをつくるもの。病気が辛くて病院に来られているのに、そこで嫌な思いを与えることは看護師失格だと肝に銘じ、日々仕事をしています。

外来看護師は患者さまの代弁者

story005また外来の看護師は患者さまの代弁者。医師の診察で、説明を受けても理解できないことや不安が残っていそうだと思えば、再度医師から説明してもらったり、私たちが補足するなどをして、安心して治療や検査に臨めるよう援助することが必要だと思います。
また、診察室では緊張されている方も、採血や注射の部屋では心を許して私たちに本音を出される場合もあるのですが、そんな言葉を見過ごさず、この患者さまにとって必要な援助が出来るようスタッフみんなで対応したいと思っています。
仕事をしていて楽しいのは、常連の患者さまと他愛ない話をするときでしょうか。話し好きな高齢者の方も多く、私たちと話すことを楽みにしてくださっている姿を見ると、幼いころ看護師の笑顔に支えられて看護師を目指した私が、今度は誰かを支えられている気がして嬉しく思います。
これからも自分のペースで看護を続け、患者さまとの対話を大切に、受診された事で少しでもプラスを感じて帰っていただける、そんな対応が出来る看護師でありたいと思います。

白衣にあこがれ看護師に

story004-01[1]副看護師長 深水ゆり
小学校低学年の頃、盲腸で入院した私は看護師さんの優しさに触れ、白衣にあこがれを抱きました。その時から「将来は看護婦さんになる」というのが私の夢になり、高校になるまでその夢が変わることはありませんでした。
とはいえ、高校時代に進路選択を決定にするには不安も大きく、看護師をしているいとこのお姉さんが勤めている病院に見学に行くことになりました。白衣を着たお姉さんは活き活きしているように見え、ますます看護師になりたいといいう気持ちが強くなって意志が固まり看護学校に進学しました。
卒後は津市内の民間病院で勤めていたのですが、結婚を機に亀山市に住むことになり、亀山市民にとって最も身近な当院に転職しようと決めました。

患者さまに親身になって関われるのが当院の魅力

当院での忘れられない患者さまの話しです。
その方は60代の男性でがんを患っておられました。当時はがんを告知するのは一般的ではなく、お子さん以外、ご本人も奥さんもがんだというのをご存じではありませんでした。
入院後、病状は日に日に悪化の一途をたどり、ターミナル期に近づいていました。このままだと家に帰れなくなるというのが医療者サイドの判断で、私たちは「退院は先だけど一時帰宅してみたら?」と勧めるのですが「もう少し楽になってから帰ります」という返答。しかしもう楽にはならないことは目に見えていたのです。
急な入院をしてそのまま病院で最期を迎えるのはご家族にとっても辛いだろうと思った私たちは、自宅で家族と過ごす時間をつくりたいと考えました。そこでリクライニング式の車いすを、楽な体位が保てるように改良し、車で自宅に一時帰宅していただくことができ、ご家族もご本人も喜んでくださいました。 それから数日後、私が夜勤の時でした。
当時は院内に有線放送が流れており、訪室するとちょうど”♪一年生になったら~♪”という歌が流れてきました。それのを聴いて「お孫さんもうすぐ一年生やね」という問いかけに「そうやな・・・」と返してくださった患者さまの一言・・それが最期の言葉になりました。私も涙が止まらずに、少しの間ケアができずにいました。
4月、いつも桜の時期を迎えるとこの患者さまのことを思い出して心が熱くなるのです。 こんな風に患者さまやご家族と親身になって関われることが当院のいいところでしょうか。時代は変化して、最近は患者さまとのかかわりも希薄になりがちですが、いつまでも当院のいいところを継続させていきたいですね。

余裕を感じさせるチームをつくりたい

story004今の私は、外来と手術室の配属で手術室副師長の役割を担っています。看護師経験は長いのですが、管理的な役割はまだ始めたばかりで、先輩を見習いながら試行錯誤の毎日です。
スタッフ全体を見渡しながら、めざしたいのは余裕を感じさせるチームをつくること。患者さまはもちろん、他職種や同僚など、気を使わずに声をかけてもらえるようなチームを作りたいと思います。
また私自身も、誰もが気軽に相談できる存在になりたいとも思います。働きやすい職場の第一歩は人間関係だと思うので、コミュニケーションを密にして、問題があれば小さな芽から摘んでいく、そんな役割が果たせたらうれしいです。
今、当院は変わろうとしています。これまで以上に職員が一つになって市民の健康を護ろうという意欲をあちこちで感じるようになりました。私もひとつの力となり、みんなで当院を盛り上げられるよう様々なことに参加していきたいと思います。

祖父の言葉で看護師になろうと決意

story003-01[1]山川有喜子
私が小学校5年の時、祖父が他界しました。入院中、状態が悪くて身の置き所がない祖父は、無意識にベッド上で体を起こそうとしました。するとモニターが外れてアラームが鳴り響き、駆けつけた看護師は「起き上ったらダメじゃない!」ときつい一言。冷たく出てゆく看護師の背中を見ながら祖父は「有喜子、患者さんの気持ちがわかる優しい看護師になってや」と震える声で言いました。その祖父の言葉を受けて「私、看護師になろう」と決心したのです。
看護師になってからは、愛知県の公立病院で勤務し、その後に民間の小さな病院に転職しました。転職先では透析室で勤務したのですが、最新ケアの情報を得るための研修を受けたとき、亀山市立医療センターではすでにその最新ケアに取り組みデータ化されていることを知りました。「進んだ病院なんだ」と思っていたら、偶然にも亀山市に転居することに。それならここの透析室を経験したいと思って当院への転職を決めたのです。

望まれる生き方に添える看護がしたい

当院に転職して8年が過ぎましたが、ずっと透析室で勤務しています。透析患者さまは週に3回、4時間前後の治療を受けに通われます。何気なく通院されているのですが、腎臓の代わりをする治療というのは身体への負担も大きく、突然亡くなられる方もおられます。そんなことを考えると、毎回自分の足で来られる患者さまを、当たりまえに迎えられるということが喜びであり看護のやりがいにつながっている気がします。
これまで出会った患者さまで印象深いのは、在宅で亡くなられた方のこと。その方は80代の男性で、バイクで透析に通われていました。足腰は丈夫だったのですが、バイクで転倒して寝たきりに。それまではお元気だったのに、事故以来衰弱がひどく余命もわずかな状態になりました。ご本人は自宅での最期を希望されたのですがご家族の不安が大きい状態だったので、私たちは自宅での看取りを支援することにしたのです。そして自宅で最期の時間を過ごされて旅立たれたその方を看て、ご本人が望む生き方に添える看護がしたいと改めて思いました。

生きることに希望が持てる援助を目指して

story003透析室で長年勤務した私は、専門知識をもっとつけたいと思い、透析技術認定士の取得にチャレンジしました。資格の取得に関して当院は、全面的にバックアップしてくれます。私も病院の援助を受けて資格を取得することができました。
専門知識を持って透析の援助をする中で器械や治療のことばかりに走るのではなく、忘れたくないのは患者さまの心理的な援助です。透析を始めたら、今の医学では死ぬまで透析をしながら生活をすることが必要です。「もう治らない」という宣告をされたとき、ご本人は絶望感に苛まれることでしょう。そんな方に私たちができるのは、同じように重度の腎疾患をもちながら楽しく暮らす患者さまのことを知っていただき、前に進める気持ちになれるお手伝いだと思っています。私たちが古い患者さまと新しい患者さまの橋渡しをして、生きることに希望をもっていただけるよう、これからも援助をしていきたいと思います。

当院と一緒に成長してきました

story002-01[1]小寺久美子
私が看護学校を卒業したのは当院がオープンする年でした。新卒で当院に採用され4月に入職。病院がオープンする6月までは開設準備にあたりました。
当時は、当院は亀山市民に対する医療全体を担い、急性期の患者さまもたくさん入院されました。昔は疾病になれば入院し、回復すれば退院されて病院との関係はそれで終了というのが通常でしたが、時代は移り変わり、病院はただ疾患を治療するだけの場所ではなくなっています。病院の機能も分化しているなかで、当院は今、地域住民の暮らしにまで踏み込んで、入院患者さまの生活をサポートする役割を担っていますが、病院が時代と共に役割を変えてきた流れとともに私自身も成長し、今は当院の地域連携室でソーシャルワーカーとして勤務しています。

生活すべてを考えるようになりました

介護保険が導入されたころから、患者さまやご家族から制度面での相談を多く受けるようになり、自分なりに社会福祉制度について勉強をしていました。そんなころ、当院に地域連携室をつくる構想が出てソーシャルワーカーが必要になりました。それまで独学で知識を得て相談には応じていたのですが、それならソーシャルワーカーとしてきちんと話ができるようになりたいと考え、通信の大学に進学して資格を得ることにしたのです。
看護師であってもソーシャルワーカーであっても、どうすればその人のQOLを向上できるかを考えるという面では何ら変わりはありません。ただ役割が変わって思うことは、看護師をしていたときは医療的な側面から考えてばかりいたように思います。たとえば糖尿病を持つ方が退院されるときは、インシュリンはどうするか、食事療法はどうするかということばかり考えました。しかし今は、どんな暮らしを送るかというように、生活すべてを考えるようになりました。

自分たちで問題解決ができるように

私の仕事内容は、地域の病院や施設、開業医さんなどから患者さまの紹介を受けたり、逆に患者さまを紹介するときの相談窓口になったりします。また退院後も在宅療養が必要な方には自宅療養が可能なようにサービスを紹介したり、治療費の支払いが困難な人の相談にのることもあります。その他、さまざまな役割を担っていますが、ご本人やご家族とじっくり生活面の相談を受けるため自然に気心も知れてきて人と人との関係性が生まれ、それがこの仕事のやりがいにつながっていると感じます。
日ごろ注意しているのは、いつも相談者を主体に考えるということ。こちらの価値観を押し付けるのではなく、ご本人やご家族がどうしたいのかを知り、それに近づけるにはどうすればいいかをアドバイスして、最終的には自分たちで問題解決ができるようにと考えています。
当院は公的な病院なので、この地域の人たちが健康に暮らせる支援が必要であり、私もこの役割に力を発揮していきたいと思います。

人のお世話が好きだったから

????????伴 千景
子どものころから人のお世話をするのが好きで、小学校のころは自分のことを差し置いて友だちの世話ばかり焼いているので「自分のことも頑張りましょう」とよく言われたものです(笑)。学校では保健委員に興味があって、自然な流れで気が付けば将来の職業を看護師に決めていました。 資格を得てからは小規模の民間病院に就職し、10年の経験を積んだのち、環境を変えてみたいと思って当院に転職をしました。当院を転職先に決めたのは、中規模の公的病院で、家庭的な雰囲気があることと、看護部長とお話をして「ここならやっていけそうだ」と思ったのが理由です。 今は手術室で勤務していますが、はじめ配属されたときはわからないことの連続でした。教えてもらいながら経験を積んで、徐々に自信も出てきましたが、いつも気をつけているのは「緊張感を持つ」ということ。大きな手術やリスクの高い患者さんの場合は自然に緊張感が生まれますが、たとえ小さな手術でも気の緩みはミスへとつながるので気を引き締めるよう自分に言い聞かせるようにしています。

手術後の達成感が仕事の醍醐味

手術はチームで行うので、みんなで気持ちをひとつにして手術に挑み、終了した時には達成感を味わいます。特に長時間の手術の場合は、体力的にも精神的にも疲れるのですが、みんなが心をひとつにしてその疲労に耐え、終了したときに「終わった!」と思う達成感は手術室勤務の醍醐味だと感じています。 最近はそうでもないのですが、以前は交通事故の患者さんが運ばれてくることが多く、夜間事故が相次ぎ手術に追われることもよくありました。みんなヘトヘトになるまで動き回って、朝が来たら椅子に倒れこんでうたた寝をするスタッフも・・・。不思議とその疲労感が「みんなで乗り切った」という充実感でもあり、いい思い出になっています。 手術室の看護師は患者さんと密に接する時間が短いのですが、最も不安の大きな時間をお世話するという場所でもあります。だから気をつけているのは患者さんに応じて不安を和らげられる援助をするということ。特に意識下で行う手術では、患者さんの表情をしっかり観察し、声かけを行いながら手を握ったり肩をさすったりして安心感を与えるようにします。ただ、あまりベタベタしてほしくないというタイプの方もいらっしゃるので、術前訪問では個性も把握して術中の対応を変えるようにしています。

細部にまで心配りができるようになりたい

story001-02[1]私は外来で勤務もしているのですが、外来で気をつけているのは直接患者さんとかかわるということ。高齢者が多いこともありますが、診察室に呼ぶときもインターフォンを使うのではなく直接迎えに行くように心がけています。そうすることでその方が困っていることも把握できるので、それを医師に伝えるサポートも可能になってきます。外来の看護師は医師と患者さんの仲介役だから、ニーズの把握が何より必要なことだと思っています。 看護師になってずいぶんの時間が過ぎたのですが、この仕事を選んで良かったと思うのは、自分のかかわりで元気を出してくれたり喜んでくれたりして、それを見た自分自身がよろこびを感じられる仕事だというところ。相手のよろこびを自分のことのように感じることが看護のやりがいだと思います。 また、当院のいいところは家庭的な雰囲気でスタッフが優しいことでしょうか。土地柄もあるのでしょうが、温かく安心できる病院だと思っています。そんな病院で働く職員だと思って自分自身を振り返ったとき、細部にまで心配りをしたサービスができているとはいい難い気がします。もっと心を込めて相手を想い、かゆいところに手が届く、そんな看護師になることが私のこれからの目標です。