毎日のケアを、丁寧に積み重ねることに価値がある


障がい者施設で介護職員としての勤務を経て、看護の道へ

itotomomisama小学生の頃、テレビで障害を持つ子どもたちの支援に情熱を注ぐ宮城まり子さんの姿を見て、将来は自分も福祉関係の仕事に就きたいと考えるようになりました。その思いは高校生になり進路を選択する時期になっても変わらず、幼児教育や社会福祉について学べる短期大学に進学しました。当時はまだ介護福祉士という資格はなく、寮母として身体障がい者施設に就職。初めて看護師の仕事に興味を抱いたのは、短大生の頃アルバイトしていた小児科医院で、患児が熱性けいれんを起こした時のことです。医学的知識がなかったので、ただ見守ることしかできず、救急車が到着するまでの時間がとても長く感じられました。そして寮母として看護師の近くで一緒に仕事をするようになってから、入所者の健康維持のためにはもちろん、自分の身を感染症などの危険から守るという意味でも、医学的知識を学びたいと考え、看護学校に進学することを決めました。

「看護って何だろう?」-この問いに向き合うため、ホスピスに再就職

卒業後、県内の総合医療センターで看護師として働き始め、充実の毎日を過ごしていました。でも8年目になったある日のこと。ドクターから「看護師って、何をする人なの?」と聞かれて、答えられない自分に戸惑いました。自分なりに色んな思いを持って働いていたことは確かですが、それを言葉で表現して人に伝えられず、もどかしくてたまりませんでした。このエピソードが大きな転機となり、大阪にある総合病院に再就職し、ホスピス病棟へ配属となりました。ただひたすらに自分の命に向き合っている患者さん達を目の前に、「看護師として、人として何ができるのかな?」と、考える日々が続きました。終末期の患者さんとの関わりを通して導き出したこと。それは、「今日一日を大切に生きる」という姿勢です。専門職としての自覚と責任、知識と技術を持って相手に関心を寄せ、一回ずつのコミュニケーションを通して相手のことを理解すること、相手を信頼すること、そして、ケアをとにかく丁寧に気持ちを込めて実践することが、看護の価値そのものと改めて気付きました。何より、同じ方向を見て研鑽と意識を高めあえる上司・同僚そして最後の大切な時間を過ごした患者さん、ご家族との出会いは私の宝物となっています。

患者さんを一人の生活者として看護を提供できるように

10年間のホスピスでの経験を一般病棟で活かしたいと異動、4年間を経て退職し、今年の4月からこちらの病院に再々就職しました。高齢多死社会となっていく今日、大好きな地元に貢献したいという気持ちから、地域に根差した医療を提供している当院を選んだのです。まだ4ヶ月しか経過していませんが、病院スタッフが一丸となって、在宅医療・看護を推進する動きの中で、地域連携における看護師の重要性をひしひしと感じています。当院の看護部には訪問看護室があり、退院後の患者さんの訪問に同行させていただいたことで、退院支援に何が必要なのか、新しい視点が広がりました。常に社会の変化に対応できる知識と技術、そして、“こころ”を持ち合わせた柔軟な看護師でありたいと思っています。