女性の自立を考え看護師に


story007-01[1]副看護師長 桜井エミ
子どもの頃から音楽が好きで、高校生になるまでは、将来は音楽に関係した仕事に就きたいと思っていました。ところが高校の授業で、女性の自立について学んだ時に心が大きく動き「手に職をつけたい」という気持ちになって、看護師に興味を持ちはじめたのです。そこで看護師の一日体験に参加。その時「こういう仕事っていいかも・・・」と感じ、看護師になりたいと考えるようになりました。
それを両親に伝えると、「おっとりした性格だから務まらない」と大反対(笑)。両親は音楽の道に進んでほしかったようですが、反対されると余計に気持ちが高まり、看護師になることを決めました。
学校では、両親の不安通りにテキパキ動くことができず大変な思いもしましたが、それでも嫌だと思うことは一度もなく、無事に資格が取得できました。

心を支えられる存在になれたら嬉しい

就職したのは看護学校の系列病院。そこで2年間勤めて結婚し、転居に伴い当院への転職を決めました。当時、本院はオープン直後で何もかもが新しく、すべてのことをみんなで作り上げる状態でした、私は3年目だったので、本来即戦力にならなければいけないものの、初めて外科病院に配属されたこともあり、わからないことの連続でした。患者さまに寄り添った看護がしたいのに、目の前の業務で手一杯の自分が情けなく、出来ない自分に対して悔しかった気持ちは今も心に残っています。
そんな日々を過ごしながら、気がつけば看護師になって随分の時が流れました。今は、たまに患者さまから「あなたがいてくれたらホッとする」とか「安心する」と言っていただくことがあり、そんな時はやっぱり嬉しいですね。
以前、ある人から「看護師は、人が亡くなる時に一緒に居ることが許される数少ない仕事だ」と聞かされたことがあり、その時には、そんな仕事に就いた者として、気を引き締めたいと思ったものです。病院で仕事をしていると、ここにいるのが当たり前になりますが、患者さまやご家族にとっては病院で過ごす時間は一大イベント。人生の選択を迫られたり、生活の軌道修正を強いられたりする患者さまやご家族の傍で、看護師として心を支えられる存在になれたら嬉しいと思っています。

看護師の存在意義を一緒に考えたい

story007以前、母が脳梗塞で倒れ、父が介護をしていた時期がありました。父も肺疾患を持っていたのですが、母の介護に手を取られて無理をしていたのだと思います。ある日、私が実家に行くと父の状態が悪く、すぐに病院に連れて行ったのですが手遅れでした。すぐに挿管が必要になり、その後呼吸器を外すことなく他界してしまったのです。「もっと早く受診していればこんなことにならなかったはずだ」と私は自分を責め続けて父に付き添っていたのですが、そんな私の傍にいてくださった看護師さんは、とても大きな存在でした。患者の家族を経験し、看護師が傍にいることの意味が再確認できたように思います。当院では長らく教育委員をしていますが、そんな看護師の存在意義を一緒に考えるような教育が必要だと思っています。
今は教育委員長なのですが、当院の看護師には患者さまやご家族の気持ちを察して行動できる力をつけて欲しいですね。看護の理論も大切ですが、まずは人として、相手を思いやる心を持って欲しいと願っています。
私は決して優等生ではないので、できない人の気持ちがよくわかるんです(笑)。だからこそできる現職看護師への教育をし実践し、みんなで一緒に成長できれば幸せです。

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