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患者さんの「ありがとう」「また来てね!」の言葉に励まされて

kameyama-160601看護師をずっと続けている母の影響を受け、幼い頃から看護師の仕事に興味を持っていました。看護師は人の命をあずかる仕事なので大変だろうな、と子供心に感じていましたが、「自分が関わることで患者さんが元気になっていく姿を見られた時、すごくうれしいし、やりがいを感じられるよ。」という母の言葉に胸を打たれて、自分も同じ道に進もうと思いました。

私はもともと三重県出身で、当院からの修学資金制度を利用しながら県内の看護学校を卒業しました。卒業後、他府県に就職する同級生もいましたが、大好きな地元で頑張りたいという気持ちと、総合的に学べる環境で働きたいという思いから、この病院に就職しました。今年入職したのは新人の私と既卒者である同期の2名だけですが、アットホームな雰囲気でとても話しやすい先輩ばかりなので、毎日とても楽しいです。仕事中、いつも先輩の方から「大丈夫?何か困っていることはない?」と声を掛けてもらえるので、分からないことがあってもすぐに解決できます。
コミュニケーション研修で学んだことを、自分の看護に活かしたい
私が勤務している西病棟は急性期病棟で、様々な診療科の患者さんが入院しています。今はまだ入職したばかりなので、一日に受け持つ患者さんは1部屋(6人)だけで、それぞれの患者さんのプライマリーナースの指導を受けながら、日々の看護に取り組んでいます。

患者さんと接する中で特に感じているのは、〝信頼関係の大切さ〟です。先日新人教育研修の一環として、三重県看護協会主催の外部研修に参加させていただきましたが、自分の話し方や表現の仕方によって、思わぬところで患者さんにプレッシャーを与えたり、自尊心を傷つけたりする可能性があるという点に改めて気付かされました。疾患や障害の程度はもちろん、患者さんの性別や年齢層によっても、感じ方や受け止め方は様々です。日頃の何気ない会話はもちろん、個別の指導をする場面でも、常に自分の言葉の選び方や表情などにも注意しようと思います。

認知症の方ともしっかりと信頼関係を築けるように

今は日々の業務を覚えるだけで精一杯ですが、そんな中でも業務中心ではなく、患者さんの心やこれまでの人生にも目を向けるようにしています。今後ますます高齢化が進むため、高齢者や認知症の方の支援の方法やコミュニケーションの取り方について勉強したいです。看護学生時代、認知症の患者さんを受け持った時、どう関わっていいのかとても悩んだ経験があります。認知症の方の行動や言動には必ず理由があると思うので、表面的なことだけで判断するのではなく、心理的・社会的背景からその人の全体像をとらえられるようになりたいです。

とはいえ、入職したばかりで、様々な処置や急変時の対応、夜勤での動き方など、看護師として一人前になるために、まずは習得すべきことがたくさんあります。師長さんや先輩方みたいに、常に全体を見渡せる看護師になれるよう、精一杯頑張ります!

看護師は子どものころから憧れていた職業

story1601看護師は幼いときからの憧れで、幼稚園のころに将来の夢を問われると「看護師になりたい」と答えていました。
看護学校を卒業後に当院へ就職し、手術室に配属された私は、長年にわたり手術室の看護に携わりました。手術というのは、私たちにとって毎日の事ですが、患者さまは一大決心をして嫌だと思いながら来られるのだということを常に意識して、入室時には温かい対応を心掛けてきました。そして、状況を判断して予測しながら対応することで、安全に、スピーディーに手術が進んだときには、それがやりがいに変わっていきました。
そして最近、病棟に勤務異動になったので、今は環境の変化に戸惑っている状態です。手術室の勤務は、外来や検査室での業務も兼ねていたので、それらの経験を活かして、患者さまに安心していただけるような説明をしていこうと思っています。

患者さまには安心感を提供したい

看護師をしていて嬉しいと感じるのは、こちらは覚えていなくても、患者さまの方が覚えてくださっているときです。特に手術室は、患者さまには目しか見えていないのですが、外来で「手術の時にお世話になった看護師さんですね」と声をかけられることがあり、感激するとともに、よく見ておられるのだと思い、気を引き締めて看護にあたらなければいけないことを実感します。
また入院中というのは、苦痛を伴う検査も多いのですが、検査を受けた方に「安心して受けられた」と言っていただくのも看護をしていて嬉しい時。そんな言葉をいただける援助をこれからも心掛けていこうと思っています。

いつも謙虚に優しい気持ちで

病棟勤務になって、患者さまと接する時間が増えたのは嬉しいことだと感じています。基本的に患者さまと接することが好きなので、密にかかわって話をするなかで、少しでも楽しい時間をつくれるような雰囲気づくりをしていきたいと考えています。
病院ではどうしても、患者さまに、こちらの都合を押し付けてしまう場面もあるのですが、指示的な対応ではなく、いつも謙虚に優しい気持ちで接することを忘れずにいたいですね。短気な性格なので、気を長く持つようにと自分に言い聞かせて、優しくかかわるのがこれからの目標です。

部署を超えて声をかけられるのがいいと思う

story151121歳のころ、医療事務をしていた私は椎間板ヘルニアで入院することになりました。痛みが強い時に、看護師さんに優しく声をかけていただくことで救われた気持ちになったことから、患者さんと直に接する看護師の仕事に興味を持ちました。そして退院してから「看護師になりたい」と思うようになり、看護学校に進学しました。
看護学校を卒業後、すぐ当院に就職したのですが、規模が大きくないだけに、職員みんなが顔を知っていて、部署を超えて声をかけられるのがいいところだと思います。当院で、私は5年間訪問看護を経験し、今は病棟で勤務しています。

先を見ながら入院中に支援ができる看護を目指す

訪問看護では、ご自宅で過ごされている療養者の方と時間をかけて関わりながら、末期の人を自宅で看取る経験も重ねてきました。病院とは異なり、ご自宅の療養者さんの表情は穏やかで、深く関われる看護にやりがいを感じてきました。
今は病棟で勤務していますが、多くのスタッフは在宅を知らないので、私が橋渡しになって患者さまの希望に添える退院を支援していきたいと考えています。
患者さまのなかには、病棟では食事も進まず、自宅に帰れそうにない状態でも、帰ってみたら食事は進んで、みるみる元気になる方もいれば、その逆で、元気だったのにご自宅で寝たきりになってしまう方もおられました。そんな経験を踏まえて、在宅療養を可能にするためには何が必要かを考え、先を見ながら入院中に支援ができる看護を目指していきたいと思います。

病棟でクッションの役割を果たすのが目標

私自身の目標は、組織の中で中間に位置することから、師長や副師長の考えを聴いて、上手に下に伝えたり、スタッフの意見をまとめて上手に上に伝えたりして、クッションの役割を果たし、病棟がうまく回るようにすることです。また、看護をする中で心がけていたいのは、いくら患者さまと親しくなっても、友達ではないという関係性を重視して、相手を尊重する姿勢や言葉遣いには気をつけたいと思っています。
今の私は、訪問看護から病棟の看護に変わったことで、ご家族にどこまで入っていくのか、医師とどう関わっていくかなど、戸惑っている部分もあるのが現状です。早く今の環境に慣れ、病院の看護師と在宅の看護師のクッションにもなれたらうれしいと思います。

全スタッフが見えるのが当院のいいところ

story1512中学生の頃に入院したとき看護師に触れ、両親には「将来看護師になりたい」という夢を語ったようです。そんなことはすっかり忘れて日々を過ごしていたのですが、高校3年で進路を決める際、父から、私が看護師になりたいと言っていたことを告げられて、勧められるまま看護学校に進学しました。
まずは准看の資格を取得し、クリニックで働きながら看護師を目指し、看護師になってからは当院に就職して今に至ります。
当院のいいところは、単科ではないので様々な疾患の患者さんが入院されており、知識の幅が広がること、また、規模が大きくないので、すべてのスタッフのことが大体わかり、コミュニケーションが広がるというところです。

今の自分に出来ることを探して提供したい

看護師になってよかったと思うのは、患者さんの人間関係を見ながら、いろんな人生経験をさせていただけることでしょうか。これまで多くの経験をしてきましたが、忘れられないのは、ある末期の患者さんのことです。
その方は、私の旧性と同じだったことから、なんとなく親近感が沸いていました。ある夜勤の時の事、個室でおられたその方は、訪室した私に「辛い」「安楽死させてくれ」と訴えられたのです。そんな風にストレートに言われたのは初めてだったので、かける言葉が見つかりません。それでもなんとかその場をしのいで部屋を後にしたのですが、次に出勤すると、もう亡くなっておられました。
患者さんの強い苦痛を目の当たりにして、こんな気持ちでおられる患者さんは多いのだろうと思うと、些細なことでも今の自分に出来ることを探して提供したいと思いました。忙しくて手が回らないこともあるのですが、業務に流されていては、自分の看護に満足は得られないと思います。

もっとスタッフと話したい

出産後、育児休暇を経て今は時短で勤務しています。子どもは2人。上の子が4歳で下の子はもうすぐ2歳になります。
今、私が望むのは、もっとスタッフと話したいということです。産休や育休を繰り返すうち、スタッフの入れ替わりもあって、今働くメンバーとゆっくり話した経験は少ないように感じています。
また、時短勤務なので、仕事以外の話をする時間もほとんどないのが少し寂しいところ。今後は子供の成長と共に、スタッフと関わる時間も増やしていき、チームワークのいい職場づくりに貢献しながら、看護の質向上につなげていきたいと思います。

子どものころから病院に触れることが多くて

story1506私が小学校低学年の時に母が入院し、看護師に初めて触れました。小学3年生のころには父が大火傷を負って入院。そこでも看護師に触れる機会がありました。そして入院中の父が外泊した時には、母と一緒に背中のガーゼを交換し「痛そうだな…」と思いながら「父の背中に手を触れていたら痛みは楽になるかな」と子ども心に思ったことは、今も鮮明に覚えています。
そんなことから、漠然と看護の仕事に興味を持つようになり、将来は看護師か警察官になりたいという夢を抱いていました。
中学3年の時のこと、担任の先生から「衛生看護科を受けてみないか?」と言われました。よくわからないままに、気楽な気持ちで受験したら、なんと合格。どうしようかと悩んだのですが、母から「合格したというのはご縁があったということなのだから行きなさい」と言葉をかけられて、衛生看護科に進学することに決めたのです。そして高校卒業後に進学して、看護師資格を取得しました。

忘れられないターミナルの患者さま

看護師になってからは、いくつか病院を変わりましたが、すべて消化器外科の病棟勤務ばかりでした。
今も忘れられないのは、術後に転移が見つかり亡くなった高齢の患者さまのことです。部屋に行くたびに、その方が好きな時代劇の話や、他愛もない会話をする事しか出来ない私は「これでいいのだろうか?」と思うことの連続でした。私が受け持ちの時に看取りとなったのですが、最期の時にご家族が「あなたで良かったわ」と笑顔で声をかけてくださり、穏やかに逝かれたその方の顔を見ると、涙を抑えることが出来ませんでした。そのとき感じたのは「これで良かったんだ」ということ。私のかかわりは正解ではなくても、間違いではなかったと胸をなでおろしたのです。そんな風に、ターミナルの患者さまへの看護は悩むことも多く、忘れられない方が何人もおられます。

表情が笑顔に変わっていくのがやりがい

私は今、夜勤専従で働いています。今の働き方を選んだのは、一緒に暮らす姑が軽い認知症で、目が離せないのが理由でした。以前、専業主婦になった経験があるのですが、私は主婦の仕事にやりがいを感じられず、周りの友達に置いていかれるような不安に苛まれ「看護師に戻りたい」と強く思いました。だから、昼間は仕事に出られないとはいえ、看護師から離れたくないという気持ちがあって、夜勤専従という選択をしたのです。
準夜と深夜を続けて勤務するので長時間労働になるのですが、大好きな看護の仕事なので、苦にはなったことはありません。ただ、日中の患者さまの様子がわからないので、しっかり記録を読んで状態を把握し、小さな変化を見逃さないよう心がけています。
看護が大好きな理由は、患者さまの表情が笑顔に変わっていく瞬間が見られること。これからも、いつも笑顔を忘れずに対応し、苦痛な表情が笑顔に変えられるような看護を心がけていきたいと思います

地元に貢献したいと考え当院へ

看護師 森 育子

小学生6年の時に入院した私は、看護師さんに触れるうち、将来は看護師になりたいという夢を持つようになりました。その後、年齢を重ねるうちにそんな想いもぼやけていったのですが、高校3年の進路を決める際にその夢がよみがえり、看護師を目指そうと思うようになりました。
亀山で生まれ育った私が当院に興味を持ったのは、高校3年で看護師の1日体験に来たのがきっかけでした。就職を決める時には、お世話になったこの土地に貢献したいと考えて、当院への就職を決めたのです。当院で経験を積むうちに、他を見たいという気持ちが強くなり、一度転職しました。しかし離れてみると当院の良さが実感できて、やっぱりここで働きたいという気持ちが強くなり、ふたたびドアをたたいたのです。そんな私を温かく受け入れてくれる風土が当院のいいところ。今は穏やかな人間関係に助けらながら日々看護をしています。

患者さまの気持ちになって考える

看護師になってから忘れられない患者さまは、30代半ばにして亡くなった乳がんの方のことです。ターミナル期になると、その患者さまの足はパンパンに腫れて、がんによる強い痛みも出てきました。「こんなに若いのになぜ死ななきゃいかないのか…」と思うと胸が詰まる思いでしたが、私にできるのは、マッサージなどをさせていただくことくらいでした。痛いところに手を触れると、その方は辛いながらも笑顔を見せてくれることもあり、そんな時には余計に胸が痛くなりました。ただ、そんな小さな援助で、ひと時でも苦痛を軽減できる看護の力も実感したものです。その方はほどなく逝ってしまわれたのですが、それ以降、できるだけ患者さまの気持ちになって考えるように心掛け、自分にできることは何かを考え看護をするようになった気がします。
看護のやりがいは、やはり患者さまが回復される姿を見ることでしょうか。日々大変なことも多いのですが、患者さまの退院時、元気になった笑顔を見ながら「お大事に…」と声をかけるときが「看護師になってよかった」と思う瞬間です。

褥瘡対策を深く学びたい

今は、褥瘡対策チームの役割をいただいています。正直なところ、このメンバーになるまでは褥瘡にはさほど興味を持っていませんでした。しかしチームのメンバーになって褥瘡の方に適切なケアを行うと、見る見るうちに患部が治癒していくんです。それを目の当たりにしたときには、もっと知識をつけて適切なケアを判断できるようになりたいと思うようになりました。
今は、褥瘡ケアを個人的に勉強したり、学会に参加したりして知識を深めているところです。今後のビジョンはまだ明確ではないですが、プライベートも大切にしながら、仕事との両立を行い、少しずつ知識を増やしたいと思っています。そうするうちに、自分の将来が見えてきたらうれしいなと思います。

看護師になるのが小さいころからの夢だった

story010看護師 稲場真優美
幼いころに交通事故で入院経験を持つ私は、気がつけば「大きくなったら看護婦(師)さんになりたい」という夢を描くようになっていました。今思えば、幼いころに受けた看護の温もりが心のどこかに残っていたからかもしれません。
看護師になってからは、私が育った地域にある当院に数年勤め、転居に応じて転職。再び地元に帰ることになったときには、以前お世話になった当院に、迷うことなく戻ろうと決めました。当院のいいところは、職員同士がアットホームな環境と、地元に密着しており患者さまに近い立ち位置で接することができること。患者さまとの距離が近い分、返ってくる反応も大きくて、看護にやりがいを感じやすいと思います。
当院の強みは、この土地に入り込んでいるというところなので、そこをもっと強化して高齢化が激しいいこの地域の患者さまを、看護の手で護っていきたいと思っています。

忘れられない患者さまがいっぱい

現在私は、正規職員として夜勤専従で勤務しています。夜勤専従というのは、3交代でいう準夜帯と深夜帯を合わせて勤務し、1か月に144時間労働を行います。月9回の夜間勤務ですが、子育てとの両立もしやすく、今の私にとっては、自分のライフスタイルに合ったベストな働き方だと思っています。
看護師になってから、もうずいぶんの年月が流れましたが、経験を積むごとに忘れられない患者さまがたくさん増えていきます。中でも、ある末期の患者さまに「あなたは仕事を頑張って。私は上で待っているから・・・」と言っていただいたことは今も忘れることができません。残り少ない貴重な時間を、私のために割いて言葉をかけてくださったことに感謝すると同時に、少しだけでも辛い場面に寄り添えたことに、看護師としてのよろこびを感じました。

先を見据えて看護ができるように

今、看護師としてこだわりを持っているのは、その人なりの退院後のことを考えて援助をするということです。退院先はその人によってさまざまですが、退院したその日から始まる生活に、困難をきたすことがないように、予測して関わることを強化したいと考えています。
退院後は、どんな住居で、どんな生活スタイルに戻られるのかによって、必要な日常動作も異なるため、それに応じたリハビリが必要です。それは急にできることではないので、入院時から考え援助が必要です。また、末期の入院の方であれば、苦痛が少なく最期の時が迎えられるように介入することが必要です。そんな看護をめざして、日々の中で、先を見据えた援助ができるよう、チーム全体に働きかけていきたいと考えています。
また、今は個人的に臨床アロマスクールに通っているのですが、資格が取れたらアロマの技術を使って、後輩たちに心と体のメンテナンスを提供できたらいいなぁと思っています。それにより、当院の看護師たちがいい看護ができるようにバックアップしていけたら嬉しいです。

高校時代に看護師になろうと決意

story009-01[1]看護師 末安静香
子どものころから「将来は保母(保育士)さんになりたい」という夢を持ち、高校時代にはピアノを習い始めたのですが、ある日、友だちから「保母さんって結婚してから働くのは難しいらしいよ(今はそんなことありませんが)」という話を聞きました。「それは困る!」と思った私は「それなら看護師になろう」と思って方向転換(笑)。ピアノを辞めて看護師になるという夢を追いかけることにしたのです。
親戚に看護師がいたことからこの仕事に興味を持っていたこともあり、家族が病気になっても助けられると思ったのが看護師をめざす動機でしたが、今思うと小さいころにはケガをしたら消毒するのが好きで必要以上に処置をしたり(笑)、特別支援学級の子を助けたりするのが好きだったので、看護師になりたいという潜在的な意思があったのかもしれません。
九州で育った私は地元の看護学校に進学。そして卒業後は都会の大きな病院で勉強したいと考えて、大阪の病院に就職しました。

周りの人たちがいたからここまで来られたと感謝

元々保育士になりたいと思っていたこともあり、卒後は小児科病棟で看護師のスタートを切りました。大阪で3年間、最先端の看護を勉強したら地元の九州に帰るつもりでいたのですが、当時知り合った人と結婚が決まり、夫の仕事の関係で三重県に移り住むことに。そして当院に転職することになりました。
転職当時は、小児科しか経験のなかった私は大人の患者さまへの対応に戸惑い、知らない土地で新しい生活をスタートさせたばかりの不安も重なり、大変だったことを思い出します。また、妊娠・出産の折には周りに迷惑をかけてばかりだったのですが、スタッフはみんな温かく接してくださいました。核家族ということもあり、産後もライフスタイルに応じた勤務が出来るよう配慮をいただいたこと、そして「お母ちゃんは頑張って仕事しなよ」と大きな器で子どもを預かってくださった保育士さんの存在があったから、ここまで仕事を続けられたと、周りの人たちに感謝するばかりです。
そして子どもも大きくなったので、これからは子どもを持つスタッフを助けながら頑張らなきゃと思う毎日です。

「聴く」ということを心に留めて

story009当院では長年透析室で勤務をしていたのですが、透析看護は患者さまと長く付き合えることが魅力でした。病気と付き合いながら生きる患者さまはみんな心が温かく、家族のように接してくださいます。そんな風に接しながらたくさんの事を患者さまから学ばせていただいたように思います。今は病棟で勤務し、患者さまの想いに沿った看護の大切さと難しさを実感しているところです。
当院のいいところは、職員全員が顔を知っているし、患者さまとの距離も近くアットホームな環境だということ。そのいいところを強化できるよう、今以上にコミュニケーションを深めることが大切だと思っています。患者さまやご家族にはそれぞれの立場でいろんな想いをお持ちです。それを聴いて出来る限りお互いの想いに添える援助をしたり、スタッフもいろんな想いを持っているのでその想いを聴いてスタッフ間の人間関係を深めたり・・・。そんなことをしていくのが私のこれからの目標です。
看護師になってよかったと思うのは、仕事をしたら感謝していただけるということ。その感謝に充分応えられる看護ができるよう、これからも相手の想いを「聴く」ということを心に留めて仕事をしていこうと思います。

手に職をつけたいと思ったから

story008-01[1]看護師 笠井裕美
幼いころから白衣への憧れを持っていた私は、将来の職業を考える時「看護師なら手に職をつけることが出来て一生働ける」と思ったのが看護師になろうと決める動機になりました。
看護学校に進学してからは、きれいな仕事ばかりではないことを目の当たりにして戸惑う場面もあったのですが、人と接することが好きだと思う気持ちが高まり嫌だと思うことはなく看護師に。そしてこれまで続けて来られたのは、やはりこの仕事が好きなんだと思います。
当院では、長らく外来勤務をしていたのですが、ある時病棟に異動することになりました。当時の私は病棟勤務をしたことがなかったため、わからないことばかりで戸惑いながら精一杯の精神状態で仕事を続ける毎日。そんなとき、長年外来に来てくださっていた患者さまが入院して来られたのです。

患者さまから助けられた思い出

その方は、ターミナルで残された時間は少ししかありませんでした。看護師の私は、その方の気持ちを支えるのが仕事です。しかし私はお顔を見たら辛い思いが込み上げてきて、不覚にも患者さまの前で泣いてしまったのです・・・。
病棟で何も出来ず辛いという気持ちを打ち明けると「あんたなら大丈夫!」と励ましてくださり、その患者さまが病棟で信頼している看護師に私の事を頼んどいてあげるからと・・・。
その言葉に安心して力をいただいたと同時に、いつまでも泣いているのではなく、私がこの患者さまを助けなければいけないという強い気持ちが生まれたのを今も覚えています。その時から少しずつ病棟に適応できるようになったのですが、この患者さまがいなければ今の私はなかったかもしれません。その後、その患者さまは亡くなられたのですが、いつまでも私の心にその方は生き続けてくださっているように思います。

気持ちが前向きになれるような援助がしたい

story008看護をしていると、相手の立場や気持ちを考えて言葉を選ぶことの大切さを実感します。
以前出会った患者さまは、寝たきりで介護が必要でしたが、看護師の援助に拒否的な反応を繰り返す方でした。しかし、困っておられることに対して「お手伝いさせていただいてもいいですか?」とお願いすると、すんなり援助を受け入れてくださいました。
元々会社の社長をされていたという事もあり、私たちの伝え方がプライドを傷つけ拒否的な反応になっていたのかもしれません。そんな風に、言葉一つも注意を払うことが必要だということ、そして人生の大先輩に敬意を持って接することの大切さを患者さまから教えていただくばかりです。
私の看護へのモットーは、患者さまの気持ちが前向きになれるような援助がしたいということです。そのために、言葉を選びながら、自分より目上の人として敬意を払うことを心がけて、相手の気持ちに配慮しながら看護をしたいと思っています。

知識と技術から看護師の笑顔はうまれる

story005-01[1]外来看護師 林ともみ
幼いころ病弱だった私は、入退院を繰り返していました。子ども心に、点滴や注射が怖くても看護師さんの笑顔に心を支えてもらい、乗り切れた気がしていました。そんな看護師さんの優しさに触れるうち、自分も看護師になりたいという気持ちが湧きあがり、この道に進もうと決めたのです。
看護学校に進学してからは、看護師が患者さまの前で笑顔でいるためには、知識を持ち、技術に対しても自信を持つことが必要だと実感。そして、看護師さんの笑顔に支えられて進路を決めたのだから、頑張って知識や技術を養って笑顔でいられるよう努力しようと思いました。
卒業後は、総合病院の循環器外科の病棟で一歩を踏み出しました。その病棟は、生命に直結した心臓疾患の患者さまなどを受け入れ、重度の先天性心疾患などの子どもも入院しており、子どもが亡くなる場面にも立ち会うことがあったのです。当時の私は、そんな風に子どもが亡くなるのは辛いと感じていたのですが、子どもの死を看取るご両親の気持ちをどれだけ理解していたのだろう?と、今になって思います。

相手の痛みを想像して接したい

忘れられない出来事は、命を助けることは出来ないだろうと判断された赤ちゃんのこと。お母さんが「抱っこさせてほしい」と言われ、たくさん入っている点滴ルートが抜けないようにスタッフみんなでサポートし、赤ちゃんを抱っこされたお母さん。その表情は今も忘れることが出来ません。
自分の子どもを持って初めて、子どもを失うとはどれほど辛く、耐えがたいものかを想像できるようになり、立場を経験してはじめて相手の心の痛みがわかることを実感しました。
とはいえ、同じ立場を経験することなどできません。けれども、出来る限り相手の立場で考え、痛みを想像して接することの必要性を痛感します。
今は当院の外来で勤務しており、子育てとの両立を考えて、日勤だけのパートという勤務形態ですが、与えられた仕事には責任を持とうと心がけるようにしています。外来は、その病院の顔であり、看護師の対応が病院のイメージをつくるもの。病気が辛くて病院に来られているのに、そこで嫌な思いを与えることは看護師失格だと肝に銘じ、日々仕事をしています。

外来看護師は患者さまの代弁者

story005また外来の看護師は患者さまの代弁者。医師の診察で、説明を受けても理解できないことや不安が残っていそうだと思えば、再度医師から説明してもらったり、私たちが補足するなどをして、安心して治療や検査に臨めるよう援助することが必要だと思います。
また、診察室では緊張されている方も、採血や注射の部屋では心を許して私たちに本音を出される場合もあるのですが、そんな言葉を見過ごさず、この患者さまにとって必要な援助が出来るようスタッフみんなで対応したいと思っています。
仕事をしていて楽しいのは、常連の患者さまと他愛ない話をするときでしょうか。話し好きな高齢者の方も多く、私たちと話すことを楽みにしてくださっている姿を見ると、幼いころ看護師の笑顔に支えられて看護師を目指した私が、今度は誰かを支えられている気がして嬉しく思います。
これからも自分のペースで看護を続け、患者さまとの対話を大切に、受診された事で少しでもプラスを感じて帰っていただける、そんな対応が出来る看護師でありたいと思います。