カテゴリー別アーカイブ: 副看護師長

この病院の良さを築いているスタッフたちの仕事ぶりを大切にし、スタッフに配慮していきたい

私は4月副師長になったばかりなので、まだ管理者の一人としてどれくらい役割を果たせているのかというとまだまだ納得できるレベルには達していません。副師長になって、一番の変化は、患者さんと関わることが中心でしたが、今は、それに加えてスタッフとの関わりを意識するようになったことです。スタッフの健康状態、患者さんとの関わり方などに配慮するようになりました。この病院のスタッフはとにかく優しい人が多いといつも感じています。これは私が所属している透析グループだけでなく、全体的に言えることですが、70代から90代、100歳を超える高齢の患者さんがとても多い環境で、細やかで、人情味のある対応を心掛けているスタッフと一緒に仕事をする中で、メンバーが患者さんとの関わりについて話す時に、この病院の良さを築いている彼らの仕事ぶりを大切にしなければいけないと感じています。また、そういう仕事に対するスタンスから私も学びながら、一緒に成長していきたいと思っています。

患者さんを受け止め、選択肢を提示して、患者さんにとっての幸せの道筋を一緒に考えていきたい

私は、もともと、祖父の希望がきっかけで看護師になりました。入院をしていた祖父を担当していた看護師さんが厳しい方だったようで、「○○してはいけない」「○○はできない」と頭ごなしにNOを言わない、患者さんの意志を尊重する看護師になってほしいと言われました。これは、看護師になってからも、私が大切にしていることで、患者さんの意志を尊重し、簡単に「○○はできません」を言わない看護師、患者さんの意志を受け止める看護師としてやってきました。もちろん、食生活、日常生活、治療方針などで患者さんの話を受け止め、情報提供をし、選択肢を提示して、その人にとっての幸せに繋がる道筋を一緒に考えていくというのが大切ではないかと思っています。また、ご家族に対するケアについてももっと考えていきたいと思っています。例えば、意識のない患者さんの透析を続けるかどうかといった局面で、止めた段階で死を意味するので、それをご家族が判断するしかないのですが、患者さんが亡くなった後、残ったご家族が心の傷を負わなくてもいいようにするにはどうしたらいいのかといったことについても私たちの役割は大きいと感じています。今後は、患者さんが元気なうちに、意思決定支援をどうするかといったこともスタッフとともに勉強していきたいと思います。

スタッフそれぞれが他部署との連携を図り、部署全体で看護の質を向上させていきたい

今後のチャレンジですが、やはり、部署全体で看護の質を向上させていきたいと思います。そのためには、電子カルテで情報共有ができるようになっているので、それをこれまで以上にもっと活用していけるようにしていきたいと考えています。具体的に言うと、訪問看護、リハビリ、栄養士、外来、地域連携といった各部門との相談を活発化し、質を向上できるような連携を図っていきたいと思っています。スタッフが興味関心を持っている部署を担当として、どのように連携を図っていけば、患者さんに対する看護の質が向上するかをそれぞれのスタッフが考え、実践し、部署で供していく体制を作っていきたいと考えています。透析は患者さんが生命維持のために一生付き合う治療なので、負担は大きいのですが、あくまでも透析は日常生活の一部分と捉え、日本という資源に恵まれた国で他の時間を幸せに過ごせるように看護師として何かできるのか、このチャレンジを通じてみんなと一緒に考えていきたいと思います。

手術は非日常。不安を和らげる工夫を重ね、仕事の喜びが見えた

私が看護師になろうと思ったきっかけは、高校時代に看護師を目指している友達がいたのがきっかけで興味を持つようになりました。元々、社会貢献ができる人になりたいという思いもありましたし、人に直接関わりお世話をする仕事ということで看護師の道を選びました。ただ、看護師になったばかりの頃は、自分がやりたかったこと、あるいは、抱いていた看護師のイメージと違うので大きな戸惑いがありました。手術室に配属になり、今、振り返ると、自分が単に余裕がなかっただけなんですが、機械の扱いを覚えるのに一苦労で、患者さんとの関わりが薄いように感じ、複雑な気持ちで過ごしていました。2年目になると、少し、余裕も生まれ、看護とは何かを考えられるようになりました。人生の中で手術をする人なんてそうはいませんし、言わば、入院でさえ非日常ですから、手術は非日常の中のさらに非日常なわけです。誰しも不安でいっぱいです。そんな中で、どうすれば少しでも不安を和らげることができるかを考え、工夫し、お声掛けをしていく中で、患者さんとの関わり方をあれこれと考えることに楽しみと喜びを見出せるようになってきたと思います。

患者さんの生き方・価値観をよく理解し、その人らしさを尊重する看護をしていきたい

私は、そうして2年間の看護師生活の後、結婚・出産で離職し、10年ぶりに看護師の仕事に復帰しました。2度目の新人です。しかも、今度は病棟勤務になりましたので、初めは業務を覚えるのにやはり一苦労でしたが、新人時代と違い、やはり看護を念頭に置いて仕事に取り組むことができました。高齢者の患者さんが多いので、私は、どんな状態の人であってもその人らしさを尊重することを大切にしながらケアをするようにしています。私よりも人生経験が豊富な言わば人生の先輩たちです失礼のないように配慮することを心がけています。そのためには、患者さんの生き方や価値観、生活様式や習慣をよく観察理解するように努めています。実際は、心掛けていても、自分のケアが正しいのかどうか評価が難しいです。例えば、退院支援です。装着しているもののメンテナンス、薬を飲むこと、トイレがうまくいけないことなどどうすればいいのか。家族のフォローは何が適切か、ヘルパーなど社会的資源の活用は…その人らしさを尊重するというのは難しく、少し壁にぶつかっています。ただ、2年経ち、ようやく入口が見えてきたという感じです。

患者さんが望まれるのであれば、自宅で生活の実現の道筋を見出せる看護師を目指したい

今、褥瘡の委員会に入れて頂き、役割をもらうようになれました。褥瘡に関しても症例はたくさんあるのですが、それらをすべての看護師に周知するのが難しく、それを何とかしたいと考えています。世の中の変化に伴い新しい良質の情報や知識はどんどん増えるのですが、それを習得すると看護の質が向上するのは誰でもわかるのですが、それを得る時間の創出もまた大きな課題です。個人的には、退院支援についてもっと深めていきたいです。退院後訪問に行った時に感じたのですが、病院にいた時とご自宅で過ごされている患者さんの一番違いは、ご自宅では、表情に安堵感があり、また、イキイキとされていることでした。私は、患者さんやご家族が望まれるのであれば、ご自宅で生活ができるようにどうすればいいかを念頭に置き、そこに立ちはだかる問題をどう解決するかを考え、適切な道筋を見出せる看護師を目指したいと思います。

後輩達に、道筋を示せる存在になりたい

医薬品会社の営業職を辞めて、看護学校へ

高校卒業後、医薬品会社で営業職をしていた私に、ある時、長く通っていた歯科医院の先生が「同じ医療の世界で働くのなら、メーカーではなく資格を取って働いてみては?」と言ってくれたことがきっかけでした。今でこそ、男性看護師の認知度はあがっていますが、35年前はまだまだ看護の道に進む男性はかなり少数派でした。運よく、同じ看護学校に男性の看護学生が数人いて、私と同じように会社勤めを辞めて看護学校に進学したという先輩もいたため、みんなで助け合いながら、楽しい学生生活を送っていました。

無事に手術を終えた時の大きな達成感が、手術室看護師の醍醐味

今と違って、昔は男性看護師の活躍の場は手術室か透析室のどちらかに限られていました。病棟看護をしてみたいと思うこともありましたが、結局私は透析室と手術室に交互に配属されるという形になりました。現在は手術室の副師長をしながら、外来も兼務しています。手術室看護師は、看護師の中でもとりわけ、命を預かることへの使命感が求められます。緊急事態に備えて予測しながら行動したり、急変の際は医師と協同して迅速に対応したりと、仕事中は緊張を強いられる場面の連続ですが、だからこそ味わえる達成感が仕事の魅力と言えます。私が長く手術室で働いて来られたのは、患者さんの命を守るため、看護師としての能力がダイレクトに求められていると実感する瞬間が何度もあったからだと思います。

何歳になっても積極的に学ぶ姿勢を大切に

スタッフの体調管理や相談など、管理業務は副師長にとって重要な役割ですが、やはり私は、看護師は何歳になっても技術を磨いたり、新しい知識や考え方を取り入れたりする姿勢を大切にすべきだと考えています。その姿勢を見せ続けることが、後輩を育てる事にもつながるはずですし、何よりも学ぶこと自体が自分の原動力になっているようです。また私は手術室だけではなく、病院全体をアットホームな雰囲気にしたいので、日頃からコミュニケーションをとても大切にしています。院内ですれ違う患者さん達にも積極的に声掛けするようにしていて、ちょっと困っていそうな人に「どうしたの?」と聞いたり、歩きにくそうな人にそっと手を添えたり。後輩達がみんな、そういう細やかな気配りができる看護師になってくれたら、とてもうれしいです。

女性の自立を考え看護師に

story007-01[1]副看護師長 桜井エミ
子どもの頃から音楽が好きで、高校生になるまでは、将来は音楽に関係した仕事に就きたいと思っていました。ところが高校の授業で、女性の自立について学んだ時に心が大きく動き「手に職をつけたい」という気持ちになって、看護師に興味を持ちはじめたのです。そこで看護師の一日体験に参加。その時「こういう仕事っていいかも・・・」と感じ、看護師になりたいと考えるようになりました。
それを両親に伝えると、「おっとりした性格だから務まらない」と大反対(笑)。両親は音楽の道に進んでほしかったようですが、反対されると余計に気持ちが高まり、看護師になることを決めました。
学校では、両親の不安通りにテキパキ動くことができず大変な思いもしましたが、それでも嫌だと思うことは一度もなく、無事に資格が取得できました。

心を支えられる存在になれたら嬉しい

就職したのは看護学校の系列病院。そこで2年間勤めて結婚し、転居に伴い当院への転職を決めました。当時、本院はオープン直後で何もかもが新しく、すべてのことをみんなで作り上げる状態でした、私は3年目だったので、本来即戦力にならなければいけないものの、初めて外科病院に配属されたこともあり、わからないことの連続でした。患者さまに寄り添った看護がしたいのに、目の前の業務で手一杯の自分が情けなく、出来ない自分に対して悔しかった気持ちは今も心に残っています。
そんな日々を過ごしながら、気がつけば看護師になって随分の時が流れました。今は、たまに患者さまから「あなたがいてくれたらホッとする」とか「安心する」と言っていただくことがあり、そんな時はやっぱり嬉しいですね。
以前、ある人から「看護師は、人が亡くなる時に一緒に居ることが許される数少ない仕事だ」と聞かされたことがあり、その時には、そんな仕事に就いた者として、気を引き締めたいと思ったものです。病院で仕事をしていると、ここにいるのが当たり前になりますが、患者さまやご家族にとっては病院で過ごす時間は一大イベント。人生の選択を迫られたり、生活の軌道修正を強いられたりする患者さまやご家族の傍で、看護師として心を支えられる存在になれたら嬉しいと思っています。

看護師の存在意義を一緒に考えたい

story007以前、母が脳梗塞で倒れ、父が介護をしていた時期がありました。父も肺疾患を持っていたのですが、母の介護に手を取られて無理をしていたのだと思います。ある日、私が実家に行くと父の状態が悪く、すぐに病院に連れて行ったのですが手遅れでした。すぐに挿管が必要になり、その後呼吸器を外すことなく他界してしまったのです。「もっと早く受診していればこんなことにならなかったはずだ」と私は自分を責め続けて父に付き添っていたのですが、そんな私の傍にいてくださった看護師さんは、とても大きな存在でした。患者の家族を経験し、看護師が傍にいることの意味が再確認できたように思います。当院では長らく教育委員をしていますが、そんな看護師の存在意義を一緒に考えるような教育が必要だと思っています。
今は教育委員長なのですが、当院の看護師には患者さまやご家族の気持ちを察して行動できる力をつけて欲しいですね。看護の理論も大切ですが、まずは人として、相手を思いやる心を持って欲しいと願っています。
私は決して優等生ではないので、できない人の気持ちがよくわかるんです(笑)。だからこそできる現職看護師への教育をし実践し、みんなで一緒に成長できれば幸せです。

白衣にあこがれ看護師に

story004-01[1]副看護師長 深水ゆり
小学校低学年の頃、盲腸で入院した私は看護師さんの優しさに触れ、白衣にあこがれを抱きました。その時から「将来は看護婦さんになる」というのが私の夢になり、高校になるまでその夢が変わることはありませんでした。
とはいえ、高校時代に進路選択を決定にするには不安も大きく、看護師をしているいとこのお姉さんが勤めている病院に見学に行くことになりました。白衣を着たお姉さんは活き活きしているように見え、ますます看護師になりたいといいう気持ちが強くなって意志が固まり看護学校に進学しました。
卒後は津市内の民間病院で勤めていたのですが、結婚を機に亀山市に住むことになり、亀山市民にとって最も身近な当院に転職しようと決めました。

患者さまに親身になって関われるのが当院の魅力

当院での忘れられない患者さまの話しです。
その方は60代の男性でがんを患っておられました。当時はがんを告知するのは一般的ではなく、お子さん以外、ご本人も奥さんもがんだというのをご存じではありませんでした。
入院後、病状は日に日に悪化の一途をたどり、ターミナル期に近づいていました。このままだと家に帰れなくなるというのが医療者サイドの判断で、私たちは「退院は先だけど一時帰宅してみたら?」と勧めるのですが「もう少し楽になってから帰ります」という返答。しかしもう楽にはならないことは目に見えていたのです。
急な入院をしてそのまま病院で最期を迎えるのはご家族にとっても辛いだろうと思った私たちは、自宅で家族と過ごす時間をつくりたいと考えました。そこでリクライニング式の車いすを、楽な体位が保てるように改良し、車で自宅に一時帰宅していただくことができ、ご家族もご本人も喜んでくださいました。 それから数日後、私が夜勤の時でした。
当時は院内に有線放送が流れており、訪室するとちょうど”♪一年生になったら~♪”という歌が流れてきました。それのを聴いて「お孫さんもうすぐ一年生やね」という問いかけに「そうやな・・・」と返してくださった患者さまの一言・・それが最期の言葉になりました。私も涙が止まらずに、少しの間ケアができずにいました。
4月、いつも桜の時期を迎えるとこの患者さまのことを思い出して心が熱くなるのです。 こんな風に患者さまやご家族と親身になって関われることが当院のいいところでしょうか。時代は変化して、最近は患者さまとのかかわりも希薄になりがちですが、いつまでも当院のいいところを継続させていきたいですね。

余裕を感じさせるチームをつくりたい

story004今の私は、外来と手術室の配属で手術室副師長の役割を担っています。看護師経験は長いのですが、管理的な役割はまだ始めたばかりで、先輩を見習いながら試行錯誤の毎日です。
スタッフ全体を見渡しながら、めざしたいのは余裕を感じさせるチームをつくること。患者さまはもちろん、他職種や同僚など、気を使わずに声をかけてもらえるようなチームを作りたいと思います。
また私自身も、誰もが気軽に相談できる存在になりたいとも思います。働きやすい職場の第一歩は人間関係だと思うので、コミュニケーションを密にして、問題があれば小さな芽から摘んでいく、そんな役割が果たせたらうれしいです。
今、当院は変わろうとしています。これまで以上に職員が一つになって市民の健康を護ろうという意欲をあちこちで感じるようになりました。私もひとつの力となり、みんなで当院を盛り上げられるよう様々なことに参加していきたいと思います。