スタッフ のすべての投稿

後輩達に、道筋を示せる存在になりたい

医薬品会社の営業職を辞めて、看護学校へ

高校卒業後、医薬品会社で営業職をしていた私に、ある時、長く通っていた歯科医院の先生が「同じ医療の世界で働くのなら、メーカーではなく資格を取って働いてみては?」と言ってくれたことがきっかけでした。今でこそ、男性看護師の認知度はあがっていますが、35年前はまだまだ看護の道に進む男性はかなり少数派でした。運よく、同じ看護学校に男性の看護学生が数人いて、私と同じように会社勤めを辞めて看護学校に進学したという先輩もいたため、みんなで助け合いながら、楽しい学生生活を送っていました。

無事に手術を終えた時の大きな達成感が、手術室看護師の醍醐味

今と違って、昔は男性看護師の活躍の場は手術室か透析室のどちらかに限られていました。病棟看護をしてみたいと思うこともありましたが、結局私は透析室と手術室に交互に配属されるという形になりました。現在は手術室の副師長をしながら、外来も兼務しています。手術室看護師は、看護師の中でもとりわけ、命を預かることへの使命感が求められます。緊急事態に備えて予測しながら行動したり、急変の際は医師と協同して迅速に対応したりと、仕事中は緊張を強いられる場面の連続ですが、だからこそ味わえる達成感が仕事の魅力と言えます。私が長く手術室で働いて来られたのは、患者さんの命を守るため、看護師としての能力がダイレクトに求められていると実感する瞬間が何度もあったからだと思います。

何歳になっても積極的に学ぶ姿勢を大切に

スタッフの体調管理や相談など、管理業務は副師長にとって重要な役割ですが、やはり私は、看護師は何歳になっても技術を磨いたり、新しい知識や考え方を取り入れたりする姿勢を大切にすべきだと考えています。その姿勢を見せ続けることが、後輩を育てる事にもつながるはずですし、何よりも学ぶこと自体が自分の原動力になっているようです。また私は手術室だけではなく、病院全体をアットホームな雰囲気にしたいので、日頃からコミュニケーションをとても大切にしています。院内ですれ違う患者さん達にも積極的に声掛けするようにしていて、ちょっと困っていそうな人に「どうしたの?」と聞いたり、歩きにくそうな人にそっと手を添えたり。後輩達がみんな、そういう細やかな気配りができる看護師になってくれたら、とてもうれしいです。

患者さんの安全を、陰ながらサポートしています!

全くの未経験から、看護助手の仕事に

sogasamaこの病院に看護助手として就職して、もう15年以上 になります。元々亀山市役所の事務職員をしていた私が、病院で働くことになるとは夢にも思いませんでしたが、市役所の仕事を退職した後、お世話になっていた上司から市民病院での看護助手の仕事を紹介されたことを機に「一度挑戦してみようかな?」と思い、応募しました。入職当初から中央材料室への配属は決まっていましたが、医療に関する知識が全くなかった私には、一体どんな仕事をするのか、イメージしにくかったことをよく覚えています。あの時、持ち前のチャレンジ精神で、未経験の分野に一歩踏み出すことに決めてよかったです。

スキルアップを目指して、滅菌技師の資格を取得

中央材料室で仕事をしているうちに、滅菌に関することだけではなく〝医療機器安全〟や〝感染〟など、様々な事柄に興味を持つようになっていきました。そんな中、日本医療機器学会が開催している勉強会に参加し、滅菌技師という資格を初めて知りました。滅菌技師には第一種と第二種があります。まず第二種の資格を取るための講座を受講し、試験を受けました。その後次のステップとして、必要な講座を受講し、認定申請することで、第一種滅菌技師の認定を受けました。資格取得という目的だけではなく、日頃仕事としてやっていることを振り返り、裏付けとなる根拠が理解できたので、勉強すること自体に大きな意味があったと思います。現在、中央材料室には私を含めて2名の看護助手が在籍しています。今でも学会主催の勉強会に参加し、最新の情報を取り入れ、スタッフ間で知識や情報を共有できるように努めています。

滅菌技師は、医療現場の〝縁の下の力持ち〟

中央材料室で働く看護助手は、直接患者さんと接する機会がほとんどありません。私たちの仕事は病棟や外来、オペ室で使用した器材を回収・洗浄するほか、各部署から請求された器材やディスポーザブル製品の払い出しが中心になるので、まさに病院という舞台を支える〝黒子的〟な役割を担っています。それでも、医療現場での患者さんの安全向上に携わっていることには変わりないので、常に仕事中には患者さんのことを思う気持ちを忘れないように心がけています。器材を取り扱う際には、「もし自分がこの器材を使われるとしたら、安心できるかな?」「滞りなく器材や物品を払い出すことで、処置や手術が安全に進行してほしいな」という思いを胸に、誇りを持って裏方業務に徹しています。また、長年同じ部署で働いて来たこともあり、オーダリング導入や院内の物流システム変更など大掛かりな業務改善にも関わることができ、とても良い経験をさせていただいたな、と感謝しています。忙しく、大変なこともありますが、出来る限り長くこの仕事を続けていくことが今後の最大の私の目標です。

毎日のケアを、丁寧に積み重ねることに価値がある

障がい者施設で介護職員としての勤務を経て、看護の道へ

itotomomisama小学生の頃、テレビで障害を持つ子どもたちの支援に情熱を注ぐ宮城まり子さんの姿を見て、将来は自分も福祉関係の仕事に就きたいと考えるようになりました。その思いは高校生になり進路を選択する時期になっても変わらず、幼児教育や社会福祉について学べる短期大学に進学しました。当時はまだ介護福祉士という資格はなく、寮母として身体障がい者施設に就職。初めて看護師の仕事に興味を抱いたのは、短大生の頃アルバイトしていた小児科医院で、患児が熱性けいれんを起こした時のことです。医学的知識がなかったので、ただ見守ることしかできず、救急車が到着するまでの時間がとても長く感じられました。そして寮母として看護師の近くで一緒に仕事をするようになってから、入所者の健康維持のためにはもちろん、自分の身を感染症などの危険から守るという意味でも、医学的知識を学びたいと考え、看護学校に進学することを決めました。

「看護って何だろう?」-この問いに向き合うため、ホスピスに再就職

卒業後、県内の総合医療センターで看護師として働き始め、充実の毎日を過ごしていました。でも8年目になったある日のこと。ドクターから「看護師って、何をする人なの?」と聞かれて、答えられない自分に戸惑いました。自分なりに色んな思いを持って働いていたことは確かですが、それを言葉で表現して人に伝えられず、もどかしくてたまりませんでした。このエピソードが大きな転機となり、大阪にある総合病院に再就職し、ホスピス病棟へ配属となりました。ただひたすらに自分の命に向き合っている患者さん達を目の前に、「看護師として、人として何ができるのかな?」と、考える日々が続きました。終末期の患者さんとの関わりを通して導き出したこと。それは、「今日一日を大切に生きる」という姿勢です。専門職としての自覚と責任、知識と技術を持って相手に関心を寄せ、一回ずつのコミュニケーションを通して相手のことを理解すること、相手を信頼すること、そして、ケアをとにかく丁寧に気持ちを込めて実践することが、看護の価値そのものと改めて気付きました。何より、同じ方向を見て研鑽と意識を高めあえる上司・同僚そして最後の大切な時間を過ごした患者さん、ご家族との出会いは私の宝物となっています。

患者さんを一人の生活者として看護を提供できるように

10年間のホスピスでの経験を一般病棟で活かしたいと異動、4年間を経て退職し、今年の4月からこちらの病院に再々就職しました。高齢多死社会となっていく今日、大好きな地元に貢献したいという気持ちから、地域に根差した医療を提供している当院を選んだのです。まだ4ヶ月しか経過していませんが、病院スタッフが一丸となって、在宅医療・看護を推進する動きの中で、地域連携における看護師の重要性をひしひしと感じています。当院の看護部には訪問看護室があり、退院後の患者さんの訪問に同行させていただいたことで、退院支援に何が必要なのか、新しい視点が広がりました。常に社会の変化に対応できる知識と技術、そして、“こころ”を持ち合わせた柔軟な看護師でありたいと思っています。

患者さんの「ありがとう」「また来てね!」の言葉に励まされて

kameyama-160601看護師をずっと続けている母の影響を受け、幼い頃から看護師の仕事に興味を持っていました。看護師は人の命をあずかる仕事なので大変だろうな、と子供心に感じていましたが、「自分が関わることで患者さんが元気になっていく姿を見られた時、すごくうれしいし、やりがいを感じられるよ。」という母の言葉に胸を打たれて、自分も同じ道に進もうと思いました。

私はもともと三重県出身で、当院からの修学資金制度を利用しながら県内の看護学校を卒業しました。卒業後、他府県に就職する同級生もいましたが、大好きな地元で頑張りたいという気持ちと、総合的に学べる環境で働きたいという思いから、この病院に就職しました。今年入職したのは新人の私と既卒者である同期の2名だけですが、アットホームな雰囲気でとても話しやすい先輩ばかりなので、毎日とても楽しいです。仕事中、いつも先輩の方から「大丈夫?何か困っていることはない?」と声を掛けてもらえるので、分からないことがあってもすぐに解決できます。
コミュニケーション研修で学んだことを、自分の看護に活かしたい
私が勤務している西病棟は急性期病棟で、様々な診療科の患者さんが入院しています。今はまだ入職したばかりなので、一日に受け持つ患者さんは1部屋(6人)だけで、それぞれの患者さんのプライマリーナースの指導を受けながら、日々の看護に取り組んでいます。

患者さんと接する中で特に感じているのは、〝信頼関係の大切さ〟です。先日新人教育研修の一環として、三重県看護協会主催の外部研修に参加させていただきましたが、自分の話し方や表現の仕方によって、思わぬところで患者さんにプレッシャーを与えたり、自尊心を傷つけたりする可能性があるという点に改めて気付かされました。疾患や障害の程度はもちろん、患者さんの性別や年齢層によっても、感じ方や受け止め方は様々です。日頃の何気ない会話はもちろん、個別の指導をする場面でも、常に自分の言葉の選び方や表情などにも注意しようと思います。

認知症の方ともしっかりと信頼関係を築けるように

今は日々の業務を覚えるだけで精一杯ですが、そんな中でも業務中心ではなく、患者さんの心やこれまでの人生にも目を向けるようにしています。今後ますます高齢化が進むため、高齢者や認知症の方の支援の方法やコミュニケーションの取り方について勉強したいです。看護学生時代、認知症の患者さんを受け持った時、どう関わっていいのかとても悩んだ経験があります。認知症の方の行動や言動には必ず理由があると思うので、表面的なことだけで判断するのではなく、心理的・社会的背景からその人の全体像をとらえられるようになりたいです。

とはいえ、入職したばかりで、様々な処置や急変時の対応、夜勤での動き方など、看護師として一人前になるために、まずは習得すべきことがたくさんあります。師長さんや先輩方みたいに、常に全体を見渡せる看護師になれるよう、精一杯頑張ります!

高校時代に看護師になろうと決意

story009-01[1]看護師 末安静香
子どものころから「将来は保母(保育士)さんになりたい」という夢を持ち、高校時代にはピアノを習い始めたのですが、ある日、友だちから「保母さんって結婚してから働くのは難しいらしいよ(今はそんなことありませんが)」という話を聞きました。「それは困る!」と思った私は「それなら看護師になろう」と思って方向転換(笑)。ピアノを辞めて看護師になるという夢を追いかけることにしたのです。
親戚に看護師がいたことからこの仕事に興味を持っていたこともあり、家族が病気になっても助けられると思ったのが看護師をめざす動機でしたが、今思うと小さいころにはケガをしたら消毒するのが好きで必要以上に処置をしたり(笑)、特別支援学級の子を助けたりするのが好きだったので、看護師になりたいという潜在的な意思があったのかもしれません。
九州で育った私は地元の看護学校に進学。そして卒業後は都会の大きな病院で勉強したいと考えて、大阪の病院に就職しました。

周りの人たちがいたからここまで来られたと感謝

元々保育士になりたいと思っていたこともあり、卒後は小児科病棟で看護師のスタートを切りました。大阪で3年間、最先端の看護を勉強したら地元の九州に帰るつもりでいたのですが、当時知り合った人と結婚が決まり、夫の仕事の関係で三重県に移り住むことに。そして当院に転職することになりました。
転職当時は、小児科しか経験のなかった私は大人の患者さまへの対応に戸惑い、知らない土地で新しい生活をスタートさせたばかりの不安も重なり、大変だったことを思い出します。また、妊娠・出産の折には周りに迷惑をかけてばかりだったのですが、スタッフはみんな温かく接してくださいました。核家族ということもあり、産後もライフスタイルに応じた勤務が出来るよう配慮をいただいたこと、そして「お母ちゃんは頑張って仕事しなよ」と大きな器で子どもを預かってくださった保育士さんの存在があったから、ここまで仕事を続けられたと、周りの人たちに感謝するばかりです。
そして子どもも大きくなったので、これからは子どもを持つスタッフを助けながら頑張らなきゃと思う毎日です。

「聴く」ということを心に留めて

story009当院では長年透析室で勤務をしていたのですが、透析看護は患者さまと長く付き合えることが魅力でした。病気と付き合いながら生きる患者さまはみんな心が温かく、家族のように接してくださいます。そんな風に接しながらたくさんの事を患者さまから学ばせていただいたように思います。今は病棟で勤務し、患者さまの想いに沿った看護の大切さと難しさを実感しているところです。
当院のいいところは、職員全員が顔を知っているし、患者さまとの距離も近くアットホームな環境だということ。そのいいところを強化できるよう、今以上にコミュニケーションを深めることが大切だと思っています。患者さまやご家族にはそれぞれの立場でいろんな想いをお持ちです。それを聴いて出来る限りお互いの想いに添える援助をしたり、スタッフもいろんな想いを持っているのでその想いを聴いてスタッフ間の人間関係を深めたり・・・。そんなことをしていくのが私のこれからの目標です。
看護師になってよかったと思うのは、仕事をしたら感謝していただけるということ。その感謝に充分応えられる看護ができるよう、これからも相手の想いを「聴く」ということを心に留めて仕事をしていこうと思います。

手に職をつけたいと思ったから

story008-01[1]看護師 笠井裕美
幼いころから白衣への憧れを持っていた私は、将来の職業を考える時「看護師なら手に職をつけることが出来て一生働ける」と思ったのが看護師になろうと決める動機になりました。
看護学校に進学してからは、きれいな仕事ばかりではないことを目の当たりにして戸惑う場面もあったのですが、人と接することが好きだと思う気持ちが高まり嫌だと思うことはなく看護師に。そしてこれまで続けて来られたのは、やはりこの仕事が好きなんだと思います。
当院では、長らく外来勤務をしていたのですが、ある時病棟に異動することになりました。当時の私は病棟勤務をしたことがなかったため、わからないことばかりで戸惑いながら精一杯の精神状態で仕事を続ける毎日。そんなとき、長年外来に来てくださっていた患者さまが入院して来られたのです。

患者さまから助けられた思い出

その方は、ターミナルで残された時間は少ししかありませんでした。看護師の私は、その方の気持ちを支えるのが仕事です。しかし私はお顔を見たら辛い思いが込み上げてきて、不覚にも患者さまの前で泣いてしまったのです・・・。
病棟で何も出来ず辛いという気持ちを打ち明けると「あんたなら大丈夫!」と励ましてくださり、その患者さまが病棟で信頼している看護師に私の事を頼んどいてあげるからと・・・。
その言葉に安心して力をいただいたと同時に、いつまでも泣いているのではなく、私がこの患者さまを助けなければいけないという強い気持ちが生まれたのを今も覚えています。その時から少しずつ病棟に適応できるようになったのですが、この患者さまがいなければ今の私はなかったかもしれません。その後、その患者さまは亡くなられたのですが、いつまでも私の心にその方は生き続けてくださっているように思います。

気持ちが前向きになれるような援助がしたい

story008看護をしていると、相手の立場や気持ちを考えて言葉を選ぶことの大切さを実感します。
以前出会った患者さまは、寝たきりで介護が必要でしたが、看護師の援助に拒否的な反応を繰り返す方でした。しかし、困っておられることに対して「お手伝いさせていただいてもいいですか?」とお願いすると、すんなり援助を受け入れてくださいました。
元々会社の社長をされていたという事もあり、私たちの伝え方がプライドを傷つけ拒否的な反応になっていたのかもしれません。そんな風に、言葉一つも注意を払うことが必要だということ、そして人生の大先輩に敬意を持って接することの大切さを患者さまから教えていただくばかりです。
私の看護へのモットーは、患者さまの気持ちが前向きになれるような援助がしたいということです。そのために、言葉を選びながら、自分より目上の人として敬意を払うことを心がけて、相手の気持ちに配慮しながら看護をしたいと思っています。

女性の自立を考え看護師に

story007-01[1]副看護師長 桜井エミ
子どもの頃から音楽が好きで、高校生になるまでは、将来は音楽に関係した仕事に就きたいと思っていました。ところが高校の授業で、女性の自立について学んだ時に心が大きく動き「手に職をつけたい」という気持ちになって、看護師に興味を持ちはじめたのです。そこで看護師の一日体験に参加。その時「こういう仕事っていいかも・・・」と感じ、看護師になりたいと考えるようになりました。
それを両親に伝えると、「おっとりした性格だから務まらない」と大反対(笑)。両親は音楽の道に進んでほしかったようですが、反対されると余計に気持ちが高まり、看護師になることを決めました。
学校では、両親の不安通りにテキパキ動くことができず大変な思いもしましたが、それでも嫌だと思うことは一度もなく、無事に資格が取得できました。

心を支えられる存在になれたら嬉しい

就職したのは看護学校の系列病院。そこで2年間勤めて結婚し、転居に伴い当院への転職を決めました。当時、本院はオープン直後で何もかもが新しく、すべてのことをみんなで作り上げる状態でした、私は3年目だったので、本来即戦力にならなければいけないものの、初めて外科病院に配属されたこともあり、わからないことの連続でした。患者さまに寄り添った看護がしたいのに、目の前の業務で手一杯の自分が情けなく、出来ない自分に対して悔しかった気持ちは今も心に残っています。
そんな日々を過ごしながら、気がつけば看護師になって随分の時が流れました。今は、たまに患者さまから「あなたがいてくれたらホッとする」とか「安心する」と言っていただくことがあり、そんな時はやっぱり嬉しいですね。
以前、ある人から「看護師は、人が亡くなる時に一緒に居ることが許される数少ない仕事だ」と聞かされたことがあり、その時には、そんな仕事に就いた者として、気を引き締めたいと思ったものです。病院で仕事をしていると、ここにいるのが当たり前になりますが、患者さまやご家族にとっては病院で過ごす時間は一大イベント。人生の選択を迫られたり、生活の軌道修正を強いられたりする患者さまやご家族の傍で、看護師として心を支えられる存在になれたら嬉しいと思っています。

看護師の存在意義を一緒に考えたい

story007以前、母が脳梗塞で倒れ、父が介護をしていた時期がありました。父も肺疾患を持っていたのですが、母の介護に手を取られて無理をしていたのだと思います。ある日、私が実家に行くと父の状態が悪く、すぐに病院に連れて行ったのですが手遅れでした。すぐに挿管が必要になり、その後呼吸器を外すことなく他界してしまったのです。「もっと早く受診していればこんなことにならなかったはずだ」と私は自分を責め続けて父に付き添っていたのですが、そんな私の傍にいてくださった看護師さんは、とても大きな存在でした。患者の家族を経験し、看護師が傍にいることの意味が再確認できたように思います。当院では長らく教育委員をしていますが、そんな看護師の存在意義を一緒に考えるような教育が必要だと思っています。
今は教育委員長なのですが、当院の看護師には患者さまやご家族の気持ちを察して行動できる力をつけて欲しいですね。看護の理論も大切ですが、まずは人として、相手を思いやる心を持って欲しいと願っています。
私は決して優等生ではないので、できない人の気持ちがよくわかるんです(笑)。だからこそできる現職看護師への教育をし実践し、みんなで一緒に成長できれば幸せです。

人の命に向き合う日々と出会った

story006-01[1]看護助手 山下美和江
若いころ、白衣の天使に憧れて病院に就職したのですが、結婚を機に退職。農家に嫁いだ私は、専業主婦をしていました。時が過ぎ、主婦のパートをしているうちに「もう一度病院で働いてみたい」という気持ちが湧いてきました。そして、大きな不安があったものの、勇気を振り絞って病院に就職したのです。初めは新しい世界に戸惑いながらも、毎日新たな発見があり、ワクワクした気持ちで働いていたことが、今も印象に残っています。
病院に勤めて初めて患者さまの死を見た時は、大きなショックでした。また、最も驚いたのは、亡くなった患者さまを病理解剖の部屋にお連れするという体験。ほんの今まで息をしていたその方が亡くなり、すぐに解剖するという現実に戸惑い、人間の脆さを実感しました。病院に勤めたおかげで”人の命”に向き合うきっかけをいただき、命の儚さ、そして人生の尊さを学んだように思います。

熱意は伝わるものだから

この病院に来たのは、平成7年。もう随分長くお世話になっています。仕事をしていて嬉しいのは、患者さまやご家族が感謝の言葉をかけてくださる時でしょうか。些細なことでも喜んでくださったら、それに甘えず「もっといい援助をしなければいけない」と思います。
病棟には若い看護師さんが多く、みんな私の娘のような気がして、つい厳しい言葉も投げかけます。長年ここに勤めている私は、たくさんの患者さまや看護師さんとの思い出が詰まっているこの病院が大好きなんです。みんなの力で創りあげてきた病院だから、もっといい病院になってほしいと願うがあまり、いつも口うるさくなってしまいます(笑)。
看護師さんを見ていると、親身になって患者さまの事を考えて看護する姿に感動する場面に出会う傍ら、責任感に欠けるのではないか?と思う場面に出会うことも。患者さまは何も言わないけれど、看護師さんの姿勢は察知するものです。熱意は伝わるものだから、口先だけの親切ではなく心を込めてお世話してほしいと思っています。

人生に悔いを残したくない

story006私の仕事へのこだわりは「誰かが困らないようにしよう」「決められたことは必ず守ろう」と考えて行動すること。たとえば衛生材料を常に補充しておかなければ、看護師さんらが迅速なケアをすることが出来ません。そうすると医師や看護師が困るだけではなく、結果的に患者さまに迷惑をかけてしまいます。だからいい加減な仕事はしたくないと考え、日々の業務にあたっています。
今、この歳まで仕事を続けて来られたのは、この仕事が大好きで、この仕事以外に考えられないという気持ちから。この歳になると、仕事があること自体がありがたく、活きる支えになっています。
だから私は、これまでの人生に後悔はありません。この先も自分が納得できる仕事をして、人生に悔いを残さないようにしたい。そう思うと、患者さまには出来る限りのことをしてさしあげたいという気持ちになり、多くの人のお世話をさせていただけることが幸せだと感じることが出来るのです。

知識と技術から看護師の笑顔はうまれる

story005-01[1]外来看護師 林ともみ
幼いころ病弱だった私は、入退院を繰り返していました。子ども心に、点滴や注射が怖くても看護師さんの笑顔に心を支えてもらい、乗り切れた気がしていました。そんな看護師さんの優しさに触れるうち、自分も看護師になりたいという気持ちが湧きあがり、この道に進もうと決めたのです。
看護学校に進学してからは、看護師が患者さまの前で笑顔でいるためには、知識を持ち、技術に対しても自信を持つことが必要だと実感。そして、看護師さんの笑顔に支えられて進路を決めたのだから、頑張って知識や技術を養って笑顔でいられるよう努力しようと思いました。
卒業後は、総合病院の循環器外科の病棟で一歩を踏み出しました。その病棟は、生命に直結した心臓疾患の患者さまなどを受け入れ、重度の先天性心疾患などの子どもも入院しており、子どもが亡くなる場面にも立ち会うことがあったのです。当時の私は、そんな風に子どもが亡くなるのは辛いと感じていたのですが、子どもの死を看取るご両親の気持ちをどれだけ理解していたのだろう?と、今になって思います。

相手の痛みを想像して接したい

忘れられない出来事は、命を助けることは出来ないだろうと判断された赤ちゃんのこと。お母さんが「抱っこさせてほしい」と言われ、たくさん入っている点滴ルートが抜けないようにスタッフみんなでサポートし、赤ちゃんを抱っこされたお母さん。その表情は今も忘れることが出来ません。
自分の子どもを持って初めて、子どもを失うとはどれほど辛く、耐えがたいものかを想像できるようになり、立場を経験してはじめて相手の心の痛みがわかることを実感しました。
とはいえ、同じ立場を経験することなどできません。けれども、出来る限り相手の立場で考え、痛みを想像して接することの必要性を痛感します。
今は当院の外来で勤務しており、子育てとの両立を考えて、日勤だけのパートという勤務形態ですが、与えられた仕事には責任を持とうと心がけるようにしています。外来は、その病院の顔であり、看護師の対応が病院のイメージをつくるもの。病気が辛くて病院に来られているのに、そこで嫌な思いを与えることは看護師失格だと肝に銘じ、日々仕事をしています。

外来看護師は患者さまの代弁者

story005また外来の看護師は患者さまの代弁者。医師の診察で、説明を受けても理解できないことや不安が残っていそうだと思えば、再度医師から説明してもらったり、私たちが補足するなどをして、安心して治療や検査に臨めるよう援助することが必要だと思います。
また、診察室では緊張されている方も、採血や注射の部屋では心を許して私たちに本音を出される場合もあるのですが、そんな言葉を見過ごさず、この患者さまにとって必要な援助が出来るようスタッフみんなで対応したいと思っています。
仕事をしていて楽しいのは、常連の患者さまと他愛ない話をするときでしょうか。話し好きな高齢者の方も多く、私たちと話すことを楽みにしてくださっている姿を見ると、幼いころ看護師の笑顔に支えられて看護師を目指した私が、今度は誰かを支えられている気がして嬉しく思います。
これからも自分のペースで看護を続け、患者さまとの対話を大切に、受診された事で少しでもプラスを感じて帰っていただける、そんな対応が出来る看護師でありたいと思います。

白衣にあこがれ看護師に

story004-01[1]副看護師長 深水ゆり
小学校低学年の頃、盲腸で入院した私は看護師さんの優しさに触れ、白衣にあこがれを抱きました。その時から「将来は看護婦さんになる」というのが私の夢になり、高校になるまでその夢が変わることはありませんでした。
とはいえ、高校時代に進路選択を決定にするには不安も大きく、看護師をしているいとこのお姉さんが勤めている病院に見学に行くことになりました。白衣を着たお姉さんは活き活きしているように見え、ますます看護師になりたいといいう気持ちが強くなって意志が固まり看護学校に進学しました。
卒後は津市内の民間病院で勤めていたのですが、結婚を機に亀山市に住むことになり、亀山市民にとって最も身近な当院に転職しようと決めました。

患者さまに親身になって関われるのが当院の魅力

当院での忘れられない患者さまの話しです。
その方は60代の男性でがんを患っておられました。当時はがんを告知するのは一般的ではなく、お子さん以外、ご本人も奥さんもがんだというのをご存じではありませんでした。
入院後、病状は日に日に悪化の一途をたどり、ターミナル期に近づいていました。このままだと家に帰れなくなるというのが医療者サイドの判断で、私たちは「退院は先だけど一時帰宅してみたら?」と勧めるのですが「もう少し楽になってから帰ります」という返答。しかしもう楽にはならないことは目に見えていたのです。
急な入院をしてそのまま病院で最期を迎えるのはご家族にとっても辛いだろうと思った私たちは、自宅で家族と過ごす時間をつくりたいと考えました。そこでリクライニング式の車いすを、楽な体位が保てるように改良し、車で自宅に一時帰宅していただくことができ、ご家族もご本人も喜んでくださいました。 それから数日後、私が夜勤の時でした。
当時は院内に有線放送が流れており、訪室するとちょうど”♪一年生になったら~♪”という歌が流れてきました。それのを聴いて「お孫さんもうすぐ一年生やね」という問いかけに「そうやな・・・」と返してくださった患者さまの一言・・それが最期の言葉になりました。私も涙が止まらずに、少しの間ケアができずにいました。
4月、いつも桜の時期を迎えるとこの患者さまのことを思い出して心が熱くなるのです。 こんな風に患者さまやご家族と親身になって関われることが当院のいいところでしょうか。時代は変化して、最近は患者さまとのかかわりも希薄になりがちですが、いつまでも当院のいいところを継続させていきたいですね。

余裕を感じさせるチームをつくりたい

story004今の私は、外来と手術室の配属で手術室副師長の役割を担っています。看護師経験は長いのですが、管理的な役割はまだ始めたばかりで、先輩を見習いながら試行錯誤の毎日です。
スタッフ全体を見渡しながら、めざしたいのは余裕を感じさせるチームをつくること。患者さまはもちろん、他職種や同僚など、気を使わずに声をかけてもらえるようなチームを作りたいと思います。
また私自身も、誰もが気軽に相談できる存在になりたいとも思います。働きやすい職場の第一歩は人間関係だと思うので、コミュニケーションを密にして、問題があれば小さな芽から摘んでいく、そんな役割が果たせたらうれしいです。
今、当院は変わろうとしています。これまで以上に職員が一つになって市民の健康を護ろうという意欲をあちこちで感じるようになりました。私もひとつの力となり、みんなで当院を盛り上げられるよう様々なことに参加していきたいと思います。