staff のすべての投稿

看護師は子どものころから憧れていた職業

story1601看護師は幼いときからの憧れで、幼稚園のころに将来の夢を問われると「看護師になりたい」と答えていました。
看護学校を卒業後に当院へ就職し、手術室に配属された私は、長年にわたり手術室の看護に携わりました。手術というのは、私たちにとって毎日の事ですが、患者さまは一大決心をして嫌だと思いながら来られるのだということを常に意識して、入室時には温かい対応を心掛けてきました。そして、状況を判断して予測しながら対応することで、安全に、スピーディーに手術が進んだときには、それがやりがいに変わっていきました。
そして最近、病棟に勤務異動になったので、今は環境の変化に戸惑っている状態です。手術室の勤務は、外来や検査室での業務も兼ねていたので、それらの経験を活かして、患者さまに安心していただけるような説明をしていこうと思っています。

患者さまには安心感を提供したい

看護師をしていて嬉しいと感じるのは、こちらは覚えていなくても、患者さまの方が覚えてくださっているときです。特に手術室は、患者さまには目しか見えていないのですが、外来で「手術の時にお世話になった看護師さんですね」と声をかけられることがあり、感激するとともに、よく見ておられるのだと思い、気を引き締めて看護にあたらなければいけないことを実感します。
また入院中というのは、苦痛を伴う検査も多いのですが、検査を受けた方に「安心して受けられた」と言っていただくのも看護をしていて嬉しい時。そんな言葉をいただける援助をこれからも心掛けていこうと思っています。

いつも謙虚に優しい気持ちで

病棟勤務になって、患者さまと接する時間が増えたのは嬉しいことだと感じています。基本的に患者さまと接することが好きなので、密にかかわって話をするなかで、少しでも楽しい時間をつくれるような雰囲気づくりをしていきたいと考えています。
病院ではどうしても、患者さまに、こちらの都合を押し付けてしまう場面もあるのですが、指示的な対応ではなく、いつも謙虚に優しい気持ちで接することを忘れずにいたいですね。短気な性格なので、気を長く持つようにと自分に言い聞かせて、優しくかかわるのがこれからの目標です。

部署を超えて声をかけられるのがいいと思う

story151121歳のころ、医療事務をしていた私は椎間板ヘルニアで入院することになりました。痛みが強い時に、看護師さんに優しく声をかけていただくことで救われた気持ちになったことから、患者さんと直に接する看護師の仕事に興味を持ちました。そして退院してから「看護師になりたい」と思うようになり、看護学校に進学しました。
看護学校を卒業後、すぐ当院に就職したのですが、規模が大きくないだけに、職員みんなが顔を知っていて、部署を超えて声をかけられるのがいいところだと思います。当院で、私は5年間訪問看護を経験し、今は病棟で勤務しています。

先を見ながら入院中に支援ができる看護を目指す

訪問看護では、ご自宅で過ごされている療養者の方と時間をかけて関わりながら、末期の人を自宅で看取る経験も重ねてきました。病院とは異なり、ご自宅の療養者さんの表情は穏やかで、深く関われる看護にやりがいを感じてきました。
今は病棟で勤務していますが、多くのスタッフは在宅を知らないので、私が橋渡しになって患者さまの希望に添える退院を支援していきたいと考えています。
患者さまのなかには、病棟では食事も進まず、自宅に帰れそうにない状態でも、帰ってみたら食事は進んで、みるみる元気になる方もいれば、その逆で、元気だったのにご自宅で寝たきりになってしまう方もおられました。そんな経験を踏まえて、在宅療養を可能にするためには何が必要かを考え、先を見ながら入院中に支援ができる看護を目指していきたいと思います。

病棟でクッションの役割を果たすのが目標

私自身の目標は、組織の中で中間に位置することから、師長や副師長の考えを聴いて、上手に下に伝えたり、スタッフの意見をまとめて上手に上に伝えたりして、クッションの役割を果たし、病棟がうまく回るようにすることです。また、看護をする中で心がけていたいのは、いくら患者さまと親しくなっても、友達ではないという関係性を重視して、相手を尊重する姿勢や言葉遣いには気をつけたいと思っています。
今の私は、訪問看護から病棟の看護に変わったことで、ご家族にどこまで入っていくのか、医師とどう関わっていくかなど、戸惑っている部分もあるのが現状です。早く今の環境に慣れ、病院の看護師と在宅の看護師のクッションにもなれたらうれしいと思います。

全スタッフが見えるのが当院のいいところ

story1512中学生の頃に入院したとき看護師に触れ、両親には「将来看護師になりたい」という夢を語ったようです。そんなことはすっかり忘れて日々を過ごしていたのですが、高校3年で進路を決める際、父から、私が看護師になりたいと言っていたことを告げられて、勧められるまま看護学校に進学しました。
まずは准看の資格を取得し、クリニックで働きながら看護師を目指し、看護師になってからは当院に就職して今に至ります。
当院のいいところは、単科ではないので様々な疾患の患者さんが入院されており、知識の幅が広がること、また、規模が大きくないので、すべてのスタッフのことが大体わかり、コミュニケーションが広がるというところです。

今の自分に出来ることを探して提供したい

看護師になってよかったと思うのは、患者さんの人間関係を見ながら、いろんな人生経験をさせていただけることでしょうか。これまで多くの経験をしてきましたが、忘れられないのは、ある末期の患者さんのことです。
その方は、私の旧性と同じだったことから、なんとなく親近感が沸いていました。ある夜勤の時の事、個室でおられたその方は、訪室した私に「辛い」「安楽死させてくれ」と訴えられたのです。そんな風にストレートに言われたのは初めてだったので、かける言葉が見つかりません。それでもなんとかその場をしのいで部屋を後にしたのですが、次に出勤すると、もう亡くなっておられました。
患者さんの強い苦痛を目の当たりにして、こんな気持ちでおられる患者さんは多いのだろうと思うと、些細なことでも今の自分に出来ることを探して提供したいと思いました。忙しくて手が回らないこともあるのですが、業務に流されていては、自分の看護に満足は得られないと思います。

もっとスタッフと話したい

出産後、育児休暇を経て今は時短で勤務しています。子どもは2人。上の子が4歳で下の子はもうすぐ2歳になります。
今、私が望むのは、もっとスタッフと話したいということです。産休や育休を繰り返すうち、スタッフの入れ替わりもあって、今働くメンバーとゆっくり話した経験は少ないように感じています。
また、時短勤務なので、仕事以外の話をする時間もほとんどないのが少し寂しいところ。今後は子供の成長と共に、スタッフと関わる時間も増やしていき、チームワークのいい職場づくりに貢献しながら、看護の質向上につなげていきたいと思います。

子どものころから病院に触れることが多くて

story1506私が小学校低学年の時に母が入院し、看護師に初めて触れました。小学3年生のころには父が大火傷を負って入院。そこでも看護師に触れる機会がありました。そして入院中の父が外泊した時には、母と一緒に背中のガーゼを交換し「痛そうだな…」と思いながら「父の背中に手を触れていたら痛みは楽になるかな」と子ども心に思ったことは、今も鮮明に覚えています。
そんなことから、漠然と看護の仕事に興味を持つようになり、将来は看護師か警察官になりたいという夢を抱いていました。
中学3年の時のこと、担任の先生から「衛生看護科を受けてみないか?」と言われました。よくわからないままに、気楽な気持ちで受験したら、なんと合格。どうしようかと悩んだのですが、母から「合格したというのはご縁があったということなのだから行きなさい」と言葉をかけられて、衛生看護科に進学することに決めたのです。そして高校卒業後に進学して、看護師資格を取得しました。

忘れられないターミナルの患者さま

看護師になってからは、いくつか病院を変わりましたが、すべて消化器外科の病棟勤務ばかりでした。
今も忘れられないのは、術後に転移が見つかり亡くなった高齢の患者さまのことです。部屋に行くたびに、その方が好きな時代劇の話や、他愛もない会話をする事しか出来ない私は「これでいいのだろうか?」と思うことの連続でした。私が受け持ちの時に看取りとなったのですが、最期の時にご家族が「あなたで良かったわ」と笑顔で声をかけてくださり、穏やかに逝かれたその方の顔を見ると、涙を抑えることが出来ませんでした。そのとき感じたのは「これで良かったんだ」ということ。私のかかわりは正解ではなくても、間違いではなかったと胸をなでおろしたのです。そんな風に、ターミナルの患者さまへの看護は悩むことも多く、忘れられない方が何人もおられます。

表情が笑顔に変わっていくのがやりがい

私は今、夜勤専従で働いています。今の働き方を選んだのは、一緒に暮らす姑が軽い認知症で、目が離せないのが理由でした。以前、専業主婦になった経験があるのですが、私は主婦の仕事にやりがいを感じられず、周りの友達に置いていかれるような不安に苛まれ「看護師に戻りたい」と強く思いました。だから、昼間は仕事に出られないとはいえ、看護師から離れたくないという気持ちがあって、夜勤専従という選択をしたのです。
準夜と深夜を続けて勤務するので長時間労働になるのですが、大好きな看護の仕事なので、苦にはなったことはありません。ただ、日中の患者さまの様子がわからないので、しっかり記録を読んで状態を把握し、小さな変化を見逃さないよう心がけています。
看護が大好きな理由は、患者さまの表情が笑顔に変わっていく瞬間が見られること。これからも、いつも笑顔を忘れずに対応し、苦痛な表情が笑顔に変えられるような看護を心がけていきたいと思います

地元に貢献したいと考え当院へ

看護師 森 育子

小学生6年の時に入院した私は、看護師さんに触れるうち、将来は看護師になりたいという夢を持つようになりました。その後、年齢を重ねるうちにそんな想いもぼやけていったのですが、高校3年の進路を決める際にその夢がよみがえり、看護師を目指そうと思うようになりました。
亀山で生まれ育った私が当院に興味を持ったのは、高校3年で看護師の1日体験に来たのがきっかけでした。就職を決める時には、お世話になったこの土地に貢献したいと考えて、当院への就職を決めたのです。当院で経験を積むうちに、他を見たいという気持ちが強くなり、一度転職しました。しかし離れてみると当院の良さが実感できて、やっぱりここで働きたいという気持ちが強くなり、ふたたびドアをたたいたのです。そんな私を温かく受け入れてくれる風土が当院のいいところ。今は穏やかな人間関係に助けらながら日々看護をしています。

患者さまの気持ちになって考える

看護師になってから忘れられない患者さまは、30代半ばにして亡くなった乳がんの方のことです。ターミナル期になると、その患者さまの足はパンパンに腫れて、がんによる強い痛みも出てきました。「こんなに若いのになぜ死ななきゃいかないのか…」と思うと胸が詰まる思いでしたが、私にできるのは、マッサージなどをさせていただくことくらいでした。痛いところに手を触れると、その方は辛いながらも笑顔を見せてくれることもあり、そんな時には余計に胸が痛くなりました。ただ、そんな小さな援助で、ひと時でも苦痛を軽減できる看護の力も実感したものです。その方はほどなく逝ってしまわれたのですが、それ以降、できるだけ患者さまの気持ちになって考えるように心掛け、自分にできることは何かを考え看護をするようになった気がします。
看護のやりがいは、やはり患者さまが回復される姿を見ることでしょうか。日々大変なことも多いのですが、患者さまの退院時、元気になった笑顔を見ながら「お大事に…」と声をかけるときが「看護師になってよかった」と思う瞬間です。

褥瘡対策を深く学びたい

今は、褥瘡対策チームの役割をいただいています。正直なところ、このメンバーになるまでは褥瘡にはさほど興味を持っていませんでした。しかしチームのメンバーになって褥瘡の方に適切なケアを行うと、見る見るうちに患部が治癒していくんです。それを目の当たりにしたときには、もっと知識をつけて適切なケアを判断できるようになりたいと思うようになりました。
今は、褥瘡ケアを個人的に勉強したり、学会に参加したりして知識を深めているところです。今後のビジョンはまだ明確ではないですが、プライベートも大切にしながら、仕事との両立を行い、少しずつ知識を増やしたいと思っています。そうするうちに、自分の将来が見えてきたらうれしいなと思います。

看護師になるのが小さいころからの夢だった

story010看護師 稲場真優美
幼いころに交通事故で入院経験を持つ私は、気がつけば「大きくなったら看護婦(師)さんになりたい」という夢を描くようになっていました。今思えば、幼いころに受けた看護の温もりが心のどこかに残っていたからかもしれません。
看護師になってからは、私が育った地域にある当院に数年勤め、転居に応じて転職。再び地元に帰ることになったときには、以前お世話になった当院に、迷うことなく戻ろうと決めました。当院のいいところは、職員同士がアットホームな環境と、地元に密着しており患者さまに近い立ち位置で接することができること。患者さまとの距離が近い分、返ってくる反応も大きくて、看護にやりがいを感じやすいと思います。
当院の強みは、この土地に入り込んでいるというところなので、そこをもっと強化して高齢化が激しいいこの地域の患者さまを、看護の手で護っていきたいと思っています。

忘れられない患者さまがいっぱい

現在私は、正規職員として夜勤専従で勤務しています。夜勤専従というのは、3交代でいう準夜帯と深夜帯を合わせて勤務し、1か月に144時間労働を行います。月9回の夜間勤務ですが、子育てとの両立もしやすく、今の私にとっては、自分のライフスタイルに合ったベストな働き方だと思っています。
看護師になってから、もうずいぶんの年月が流れましたが、経験を積むごとに忘れられない患者さまがたくさん増えていきます。中でも、ある末期の患者さまに「あなたは仕事を頑張って。私は上で待っているから・・・」と言っていただいたことは今も忘れることができません。残り少ない貴重な時間を、私のために割いて言葉をかけてくださったことに感謝すると同時に、少しだけでも辛い場面に寄り添えたことに、看護師としてのよろこびを感じました。

先を見据えて看護ができるように

今、看護師としてこだわりを持っているのは、その人なりの退院後のことを考えて援助をするということです。退院先はその人によってさまざまですが、退院したその日から始まる生活に、困難をきたすことがないように、予測して関わることを強化したいと考えています。
退院後は、どんな住居で、どんな生活スタイルに戻られるのかによって、必要な日常動作も異なるため、それに応じたリハビリが必要です。それは急にできることではないので、入院時から考え援助が必要です。また、末期の入院の方であれば、苦痛が少なく最期の時が迎えられるように介入することが必要です。そんな看護をめざして、日々の中で、先を見据えた援助ができるよう、チーム全体に働きかけていきたいと考えています。
また、今は個人的に臨床アロマスクールに通っているのですが、資格が取れたらアロマの技術を使って、後輩たちに心と体のメンテナンスを提供できたらいいなぁと思っています。それにより、当院の看護師たちがいい看護ができるようにバックアップしていけたら嬉しいです。